元号は645年の大化元年から始まる、足掛け2000年もの長い歴史を持つ文化。
最初の元号である「大化」は、『日本書紀』に「天豊財重日足姫天皇の四年を改めて大化元年とす」との記録があり、西暦645年7月17日の孝徳天皇即位のときから実施されたとのこと。
名称や改元には大きな出来事が反映されたり、願いが込められていたりとまさに歴史そのものでもあります。
では、いったいどのように元号は決められてきたのでしょうか?改めて確認していきましょう。
元号を改元するタイミングは様々
明治以降は天皇即位の時のみ改元されていますが、最初はおめでたいことがあった時にお祝いとして改元をすることが多くありました。
たとえば西暦708~715年の元号「和銅」は、日本で初めて産出された銅が献上されたことを記念して日本の銅、つまり「和銅」と改元されました。
天皇即位や瑞祥があった、おめでたい時に行われた改元ですが、験を担ぐ意味が生まれたのか、凶事が起きても改元されるようになります。
凶事を受けて改元された初めの例が、「延喜」です。
西暦901年、菅原道真が讒言により大宰府に左遷され、道真の子や関係者も左遷や流罪にされた「昌泰の変」と呼ばれる事件が起こります。理由はこれだけではないようですが、この3ヶ月後の4月に「延喜」へと改元されています。
漢籍から良い意味の字を出典して決める
「延喜」は元号の歴史にとって、もうひとつの転換期でもあります。
「和銅」に見られるように、それまでは起きた瑞祥によって元号名が定められていました。
ですが「延喜」以降は縁起の良い意味を持つ字の組み合わせを、漢籍から出典するようになったそうです。ちなみに日本の場合、今まで採用された字は72字、そのうち21字は10回以上も使われているとのこと。ちなみに「延喜」はのちに『書経』とも呼ばれる、中国の歴史書『尚書』が出典です。
現在の「平成」の由来も、同様に『史記』と『書経』からとされており、「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味だそうです。
天皇がもめると元号ももめる?
元号は天皇の即位と御代と密接に関わるもの。天皇の地位が揺れると、元号の使われ方にも揺れが生まれました。
源氏と平氏が争っていた時、平清盛の孫にあたる安徳天皇が即位すると、元号も「養和」へと改められました。
ですが源頼朝はこれに反発、養和前の「治承」を使い続けます。
後に頼朝が京都を制圧し後鳥羽天皇を即位させ、ここでやっと頼朝は「元暦」という新たな元号を受け入れます。ですが平氏はこれを拒み、壇ノ浦で滅亡するまで、安徳天皇に紐づく元号の「寿永」を使い続けました。
いつのことだかわかりづらい元号ですが、こう書いてみると、そのひとつひとつが時代と密接に繋がっていることが伺えます。
元号の名前の意味と背景を丁寧に知ると、西暦よりも「あの時代のことか」とピンと来やすくなる・・・かもしれません。
さて、「平成」の次の元号は何になるでしょうか?
これらのことをふまえ、予想してみると面白そうですね。
(Sati)
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