チャンネル銀河で2018年8月16日(木)より放送をスタートする、中国歴史ドラマ「昭王~大秦帝国の夜明け~」。今回、日本初放送となるそのドラマをより楽しんでいただけるよう、主人公の昭王(しょうおう)や、秦(しん)についての豆知識をまとめてみた。
兄の急死で、突如として王にまつり上げられる
秦の第28代君主・昭王(しょうおう※)。大人気漫画「キングダム」にも登場する彼は、始皇帝の曽祖父(ひいおじいさん)にあたる。まず、上の系図を見ていただきたい。彼の在位期間は紀元前306年から紀元前251年。当時としては非常に長期で、秦史上最高の55年に及んだ。この間、弱小国だった秦は急速に勢力を拡張、他国を凌駕する強国へと成長したのである。(※昭王は「昭襄王」とも呼ばれます)
昭王自身も、なかなか優れた人物だったが、その父親で、第26代君主の恵文王(けいぶんおう)も非常に有能であった。恵文王は、巴蜀の地を征服するとともに、秦において初めて「王」を名乗った。その活躍は「大秦帝国 縦横 =強国への道=」としてドラマ化もされている。
ところが、恵文王の死後、嫡男で第27代君主となった武王(ぶおう)は、戦を好む粗暴な人物だった。腕力に自信があり、普段からその力を誇示していたという。そして在位4年目の紀元前307年、武王は臣下の力士と力くらべを始める。周囲の制止も聞かず、鼎(かなえ=青銅器)を持ち上げたが、あまりの重さに足の骨を折って急死。後継者争いが起きてしまった。
武王には子がなく、そのとき弟の嬴稷(えいしょく=後の昭王)は人質として燕(えん)に預けられていた。そこで嬴稷の叔父にあたる魏冄(ぎぜん)が、趙の武霊王(ぶれいおう)に懇願して嬴稷を秦へ呼び戻し、王に擁立する。
こうして嬴稷は王となったのである(以下、昭王と記す)。ただ、就任からしばらくは母の宣太后(せんたいこう)、その弟で恩人でもある魏冄に実権を握られ、昭王がみずから政治をリードしていくには相当な時間を要した。
紀元前294年、宰相の魏冄が白起(はくき)を将軍として起用するよう推挙してきた。この白起こそ後に「常勝将軍」と呼ばれる軍事の天才。白起は各地の戦場で多大な戦果をあげ、秦は次々と国土を拡張する。その後も様々な苦難や紆余曲折はあるが、約50年後に昭王の曾孫・嬴政(えいせい=後の始皇帝)が登場。中国大陸は秦による統一へと向かうのである。
「完璧」や「怒髪天を衝く」の故事をつくった
さて、昭王といえば「完璧」(かんぺき)と「怒髪天を衝く」(どはつ、てんをつく)の語源となった出来事に関わっていることでも知られる。その逸話もドラマに登場するので、流れをざっと紹介しておきたい。紀元前280年、昭王は趙の国に「和氏の璧」(かしのへき)という宝玉があることを聞きつける。それを何としても手に入れたいと考え、「その璧(へき)を譲ってくれれば、代わりに15の城(街)をやろう」と趙王に使者を送った。
趙王は悩んだ。国力は秦のほうが圧倒的に上だから、下手に断れば攻め滅ぼされてしまう。かといって、「璧」を譲ったところで約束通り城をくれる保証はない。昭王は趙が断りきれないとみて、頼んできたのだ。
群臣との相談の結果、趙王は食客の藺相如(りん しょうじょ)に「璧」を委ね、秦へ赴かせることとした。「私にお任せいただければ、たとえ秦王が約束を違えようと、璧(へき)を完(まっとう)して参ります」と、藺相如は自信たっぷりにいった。璧を完うするとは、璧に傷ひとつ付けず持ち帰ってくる、ということだ。
さて、秦へ着いた藺相如はさっそく昭王に璧を渡した。昭王はたいそう喜び、群臣にそれを見せびらかしたが、一向に城の受け渡しの話は始まらない。やはり昭王には城を渡す気などなかったのである。そこで藺相如は「実は、その璧には少々傷があります。そこをお見せしましょう」と言って取り返した。
そして昭王に対し、藺相如は髪の毛が逆立つほど怒りをあらわにする。これが「怒髪天を衝く」の語源である。「城をもらえないなら、この璧と私の頭を柱にぶつけて粉々にする」という。それを聞いた秦の群臣は無礼とみて、彼を殺すよう進言した。
しかし、ひとり昭王はその豪胆さに感じ入り、「殺したところで、趙の恨みを買うだけだ」と話をチャラにし、藺相如を歓待した後で趙へ帰した。かくして藺相如は璧とともに趙の面子も守り、帰国した。この出来事が「完璧帰趙」(璧が完全に趙へ帰る)と伝わり、「完璧」の語源となったのである。
『キングダム』に登場する昭王はフィクション
漫画「キングダム」に登場する昭王は戦神と称される名将だ。白起(はくき)、王齕(おうこつ)、胡傷(こしょう)、司馬錯(しばさく)、摎(きょう)、王騎(おうき)といった6人の将を「六大将軍」に選抜するなど、その偉大さが強調されて描かれてもいる。
だが、「完璧」の逸話からも分かるように、どちらかといえば昭王は狡猾な面も持つ政治家で、自ら戦争を指揮するタイプの人物ではなかった。配下のほとんども実在した人物だが、「六大将軍」はあくまで漫画の中の設定だ。とはいえ、昭王は秦を躍進に導き、その55年にわたる治世で中国史上に大きな影響を残したことは事実である。
秦王の姓、嬴(えい)という字の意味
最後に、「嬴」(えい)という姓についても触れておきたい。始皇帝の本名は嬴政(えいせい)、昭王は嬴稷(えいしょく)、恵文王は嬴駟(えいし)といったように、「嬴」は秦の君主たちが代々名乗っていた姓である。
あくまで日本語の文字としての解釈ではあるが、漢和辞典には上のように記してある。それを見る限り、権力者の姓としては相性が良さそうな字といえるだろう。いずれにしても、日本でほとんど使われない常用外の漢字で、環境依存文字でもある。始皇帝や昭王の本名があまり一般的でないのは、この字が難しすぎるからという事情もあるだろう。
文・上永哲矢
「昭王~大秦帝国の夜明け~」チャンネル銀河で日本初放送スタート!
放送日:2018年8月16日(木)放送スタート 月-金 午後1:00~
番組ページ:https://www.ch-ginga.jp/feature/shouou/
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