黒船来襲の年に将軍に!?幕末の幕を開けるという数奇な運命
江戸幕府 第十三代将軍 徳川家定(いえさだ)は、文政7年(1824)年に十二代将軍の徳川家慶の四男として出生。
家慶の男子は病弱で早世、彼だけが生き残ったものの、自身も大変病弱で、一説には脳性麻痺だったとも言われているそうです。
嘉永6年(1853年)、時はペリー来襲で上へ下への大騒動のなか、将軍に就任。
翌年には日米和親条約に調印という、日本を左右する激流に舵を切りました。
思えばここから「幕末」という時代の幕が切って落とされたわけで、その役割を担うという大変な重責だったのですね。
スイーツ好きで家臣にもふるまう将軍?
大河ドラマファンであれば『篤姫』で、その家定を堺雅人さんが演じて時代劇ブレイクのきっかけともなったことはご存知かもしれません。
来年の大河「真田丸」で主役の猛将 真田幸村を演じる堺さんの演じる家定は、幸村とは似ても似つかない対照的なタイプ。
普段は家来の前で奇行ばかりのうつけを演じながら、その実それは責任の重さと硬直した幕府へのあきらめからの逃避行動だった、というキャラ設定だそうです。
なんとも堺さんの個性が活きるキャスティングですが、果たしてどうだったのでしょうか??
記録によればカステラを作ったり、煮豆やふかし芋などを作り自分だけでなく、家臣たちにもふるまったとか。
このため「イモ公方」などと呼ばれるなど、大変ひどい言われ方をしたようで、やはりそこにはなにかの理由はあったのかも。
お菓子や煮豆作りに没頭する将軍・・・想像すると微笑ましい姿ですが、将軍としてはともかく、人としては優しい人だったのではないかとさえ思えます。
世継ぎ問題に揺れる中、35歳の若さで早世
そんななか、徳川家の次の将軍を誰にするか、という将軍継嗣問題が勃発。
これまた政争の渦中にも巻き込まれた家定公は、自身が病弱なために起こる派閥争いに心を痛めながらも、安政5(1858)年、なんと35歳の若さで早世。
その時に正室だった『篤姫』こと天璋院は、当時まだ22で、次期将軍となった家茂(当時は12歳!)の養母になるという重責を担います。
なんともかわいそうなカップルですが、その後の篤姫の活躍は、ドラマでもご存知の通り。
江戸城無血開城の立役者として、影で徳川家を支えます。
最後までなんとも波乱&激動の一生を終えたカップルでした。
私としては家定公の「スイーツ好き」という記録と、堺雅人さんのキャラがミョーに合ってしまい、いい人だったんじゃないかと思ってしまうのです。
こういうストーリー一つとっても分かりますが、どの時代でもこういう宿命を背負って生まれ、そして死んでいった人達が星の数ほどいるのでしょうね。
そんな二人のストーリーを描いた大ヒット大河ドラマ『篤姫』はチャンネル銀河で放送中です。(2016年7月時点)
よかったらご覧になってみてください。
副編集長Y
参照元
「徳川家定」wikipedia
「篤姫」特集ページ チャンネル銀河
(C)NHK
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