アニメの「一休さん」として知られる室町時代の僧侶・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)。
室町幕府第三代将軍 足利義満公とも仲良し(笑)、頭が切れて数々のとんちを繰り出すカワイイ男の子というのが、みなさんのイメージではないでしょうか。
最初の放送が1975年だったので、なんと私が小学校の頃。
調べてみたらその後7年間、なんと全部で296話という超ロングヒット番組だったので、歴人マガジンの読者の方々の中でご存知の方が多いかと思います。その他にも多くのドラマなどでも演じられる人気ものですよね。
しかし、この一休さん、調べてみるとそのイメージとは全く異なる「超パンクな破戒僧」だったというニュースを発見しました。どんな一生だったのか、調べてみましょう。
幼い頃から僧籍に入り、少年時代から詩の才能が評判を呼んでいたそうですが、なんと青年期に、死んだ恩師の後を追って自殺を試みて、自殺に失敗すると人が変わったように権威への反抗心を露わにして、権力を否定するようになっていったそうです。
宗純は、20代にして、悟りを開いた証である印可証を授かることになりますが、その受け取りを拒んだり、挙げ句の果てに、印可証を焼き捨てたりという、普通では考えられないような行動に出たそうです。
普通ならば即刻破門!という行動に出ながらも僧籍を追われないのが不思議ですが、宗純は僧籍に身を置いたまま、狂雲子(きょううんし)と名乗って様々な書物を書き残しました。
その書物や伝えられる言葉は、いずれも仏教界や政治の世界への批判や反抗心に溢れた、皮肉とウイットに富んだものであったそうです。
彼の残した詩に、「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」というものがありますが、「年を重ねるごとに死が近づいているのだよ(浮かれてばかりいないで現実を見なさい)」ということを言っているのであり、皮肉っぽい表現ではあるが、言ってることは誠にご尤も。
また彼は様々な奇行でも知られていて、木刀を豪奢な鞘に収めて持ち歩き、そのことを尋ねる人に、「偉い僧侶と同じだ。外側は立派だが中身は使い物にならない」などと権威への反発を身をもって表現したり、そうかと思えば、乞食のようなボロをまとって市中を歩いたりしていて、奇人変人として知られていたそうです。
他に名言としては、「悟りなどないということを悟った」とか、仏を見たか?という問に対して、「見たことも聞いたこともない(そのようなものはない)」というような言葉も伝えられていますが、いずれも、世の中の矛盾や権威の退廃を批判する、強い反骨精神の現れた独特の味わい深い言葉ばかりなのです。
また理由は定かではありませんが、宗純は壮年期にも自殺を図っているそうで、アニメの可愛らしい一休さんのイメージとは全く異なり、かなりエキセントリックな人物だったことだけは確かなようです。
これだけ破天荒な人ですから、殺生禁止・女人禁制の僧籍にあっても、酒は飲む肉は食べる、女性とは子までもうけて、実子を弟子にするなど、生臭坊主などという言葉では追いつかないくらいの破戒僧であったとか(笑)
しかし、宗純は自ら破戒僧を自認していて、社会や権威への反発から意識的に規範を破っていたようにも思われるのです。
さらに驚かされるのは、77歳のときに、50歳近く年下の女性と同棲していて、現在の平均寿命をも上回る88歳で死ぬまで、情婦やこの世への未練を口にしていたというエピソード。
・・・・・どんだけ悟ってないねん一休さん!!!
「水戸黄門」が完全なフィクションであるのと同様に、「一休さん」に出てくる頓知咄もフィクションだそうですが、史実として伝えられる宗純の奇行や名言(迷言?)から着想を得て、後に「一休さん」の原案となる「一休咄」が作られたのでしょう。
TVアニメの「一休さん」は、文科省推薦だったそうですが、その実態はとてもお役所の推薦はもらえないような破天荒な破戒僧だったんですね(笑)
でも、あの「かわいい一休さん」しか知らなかった私は、この宗純の言動に溢れる反骨精神がとても気に入ってしまいました。
宗純は、破戒僧といっても破綻者というわけではなく、体制への強い反抗心から来る強い自己主張と反骨精神のなせるわざだったと思うのです。室町時代に88歳という驚異的な長寿を全うした彼の言動には「俺は俺、やりたいようにやる!」という強い意志が感じられます。
自らのポリシーを貫き、ストレスのない生活を送ったことが、驚異的な長寿に繋がったのかもしれないですね。
さてホントの「一休さん」いかがでしたか?イメージ崩れちゃった?
副編集長Y
参照元:
「一休宗純」wikipedia
「DEVIANT ART」
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