みなさんこんばんは!今日も九州を巡る歴人マガジン編集部 Yです。
昨日は佐賀県の唐津を夕方出発後、高速を飛ばして長崎までまいりました!
関連記事:【 編集部 スペシャルレポート】「九州駆け足歴史旅」vol.1 唐津城
そして今日の午後から長崎散策。今日も晴天に恵まれ、暑いほどの日。ありがたい限りです。
長崎に到着して感じたのは「とにかく坂が多い!」ということ。
市街地からちょっと入るともう坂道で、それでも住宅がたくさん立ち並んでいるさまは、大変に特徴的。
路面電車が通っているのも風情があっていいですね。
では「九州駆け足歴史旅」2日めの長崎編初日をお送りします!
みなさんご存知の通り、長崎は広島と並ぶ原爆投下という悲しい歴史をもつ町。
私にとって高校の修学旅行以来の長崎で、いきなり最初にここをご紹介するのもどうかと思ったのですが、どうしてもこの歴史を無視できず、長崎平和公園に行ってきました。
長崎平和公園は、原爆投下から5年を経過した昭和25(1950)年に開設。もとは刑務所だったそう。
有名なこの平和記念像は昭和30(1955)年に造られたもので、高さ9.7メートル、重さ30トン、青銅製。
制作者の長崎出身の彫刻家 北村西望氏はこの像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めたそうです。
8/6の広島と同じく、長崎では毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされることは皆さんご存知かと思います。
公園内は平日のため人が少なかったのですが、アメリカ人、中国人、タイかフィリピン人の観光客が多かったと思います。
敷地内には、慰霊碑が建ち、各国から送られた平和を願う彫刻像などが展示されていました。
小高い丘の上の公園を下りてくると、今度は爆心地のモニュメント。
あの日、この上空500メートルで炸裂した原子爆弾は、一瞬にして長崎の町を焼き払い、翌年までに74,000人、さらにその後も併せのべ十数万余の人が命を落としたのです。
国と国が憎しみ合い、殺し合う。どんなに正しそうな理屈を並べても、戦争は殺し合いだと私は思います。
世界情勢は、今再び争いを始めてしまうのだろうか。というか争いはずっと続いている。
本当に悲しいことではありますが、あの日理由もなく命を落とさねばならなかった多くの方々のためにも、戦争は二度と起こしてはならないのだ、という思いを新たにしました。
さて、公園を後にして訪れたのは、幕末日本に現れ、坂本龍馬を介して薩長同盟へ武器や戦艦を供給したキーマン、トーマス・グラバー邸を中心にした広大な庭園「グラバー園」へ。
路面電車の駅を下りてすぐのところにある急勾配をエレベーターで登るとそこには入り口が。
長崎の街を一望できる素晴らしい高台にあるいくつもの洋風建築は、まさに坂本龍馬や後藤象二郎が、命を賭けて交渉を重ねたであろう当時の光景を想像させ、否が応でも胸が高まります。
そしていよいよグラバー邸へ。
グラバー氏は前述のとおり明治維新の原動力となった薩長同盟を武器商人として支えたわけですが、それだけでなく、維新後も造船、蒸気機関車、炭鉱などを運営、後には岩崎弥太郎とその弟弥之助と共に三菱財閥の基礎を築きながら、日本の近代化に大きな貢献をした人物です。大河ドラマ「龍馬伝」にも出てきましたが、まさに日本近代化のキーマンだったことは間違いありませんね。
と、ここまできたところで既に今回の目的の1つでもある亀山社中の閉館時間に(涙)
読みが甘かった・・・
急遽予定を変更し、明日は亀山社中と出島を取材することにしました。
考えてみれば長崎はそれこそ歴史の深い街。
江戸時代から海外の窓口であったわけですから、半日で回れるほど浅い歴史ではないのは当たり前ですね(汗)
夜景も最高ですし、ごはんもウマイ(2日連続ちゃんぽん行ってしまいましたw)
ということで、見どころ満載の長崎編、明日も続きます!どうぞお楽しみに!
参照元:
「長崎市平和公園」長崎市オフィシャルサイト内
「グラバー園」オフィシャルサイト
「ながさき旅ネット」長崎観光ポータルサイト
副編集長Y