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【震えが止まらない】歴史に名を刻んだ残虐すぎる 「中国三大悪女」

武則天(ぶそくてん)

武則天(ぶそくてん)
武則天(ぶそくてん)

武則天(ぶそくてん、623〜705年)は、中国の歴史上唯一の女帝となった人物。日本では皇后としての側面を重視した則天武后という名称が広く浸透しています。

武則天は、中国・荊州の官僚の次女として生まれ、14歳で唐の第2代皇帝・太宗(李世民)の後宮に入り才人(妃嬪の地位、正五品)となります。その才気を買われ太宗の寵愛を受けますが、太宗の崩御にともない出家。しかし、ほどなくして第3代皇帝・高宗(李治)に見初められ後宮に戻ると、寵愛を受けた武則天は高宗の娘を産みます。

しかし、皇后の座を狙っていた武則天は、なんと自分の娘を自ら絞め殺し、それを子供のいなかった王皇后の仕業だとして、王皇后を皇后の座から蹴落とします。さらに皇后となった武則天は、王前皇后とライバルであった蕭淑妃(しょうしゅくひ)を百叩きにした上に、四肢を切断し、「骨まで酔わせてやる」と言って酒壷に投げ込みました。二人は酒壷の中で数日間泣き叫んだ後絶命したと言われています。権力を手に入れるためなら自分の娘をも手にかける冷酷さに寒気がします・・・。

こうして唐王朝の実権を握ると、病弱な高宗に代わって「垂簾の政」(すだれの奥から皇后が皇帝を操って行う政治のこと)を行います。さらに武則天は、身内の武氏一族を重用する一方で、冷酷非道に子であろうと自らに反抗する者は容赦なく抹殺し、また密告により反対派を徹底して潰すなど、独裁的な恐怖政治を横行させます。

高宗の死後、中宗・睿宗という幼い息子を即位させましたが、ついに690年に国号を「周(武周)」に改め、自ら皇帝として即位。病床に臥せがちとなり退位した705年まで中国史上唯一の女帝として君臨しました。

<ピックアップ!おすすめドラマ>
『武則天ーThe Empressー』
中国史上唯一の女帝・武則天(則天武后)の生涯を、総製作費56億円という壮大なスケールで映像化した話題作がついに日本初放送。中国のトップ女優ファン・ビンビンが演じる“セクシーすぎた武則天”は本国で話題騒然となり、2015年の中国ドラマ視聴率No.1を記録。身分も低く、後宮内でも下級の側室だった彼女は、いかにして女帝まで上り詰めたのか?その大いなる野望と真実が今、明かされる。

©2014 ZheJiang Talent Television & Film Co., Ltd. All Rights Reserved
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歴史に名を刻む悪女たちはやっぱり凄かった・・・

”中国三大悪女”と呼ばれる女性たちのエピソードを紹介しましたが、いかがだったでしょうか?

数々の残酷な所業は”悪女”と呼ぶにふさわしいものですが、一方で女性であるにも関わらず、政治の実験を握り、様々な功績を残した人物たちであったことも見落としてはいけません。

たとえば、武則天は身分を問わず優れた人材を次々と登用するなど、その政治的な手腕は高く評価されています。男性は女性に従うべきという中国の伝統的な儒教思想がなければ、今日に伝わる彼女たちの評価は少し違っていたかもしれないですね。

歴史は深く知れば知るほど新たな発見があるもの。この機会にあなたもいろいろな”悪女”を調べてみてはいかがでしょうか?

 

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