戦国武将という切り口で、城をめぐるさまざまなドラマが書き綴られているのが海 音寺潮五郎著『日本名城伝』だ。悲喜こもごもの物語が、伝説や逸話を織り交ぜながら語られる。この手の書籍は積極的に手に取らないのだが、今まで素通りしていた扉を開いたときのような、新しい城の横顔を垣間見られたような気もした。
北海道から九州まで、誰でも知っている名城が12城取り上げられている。戦国時代の城だけでなく幕末に築かれた五稜郭(北海道函館市)まで取り上げられていて、日本の歴史のおおまかな流れや時代による城の違いも掴めるだろう。
姫路城(兵庫県姫路市)では、「女難城」の章タイトルのもと、女性に絡んだ秘話が紹介されている。千姫を略奪しようとした津和野藩主・坂崎出羽守のエピソードなどは、改めて読んでみるとなかなかおもしろい。
姫路城で今でも千姫を感じられるスポットといえば、千姫が実際に住まった西の丸の化粧櫓だ。千姫が本多忠刻に輿入れした際、化粧料で造営したといわれる。千姫が唯一穏やかな年月を過ごしたのが姫路城とされるが、輿入れのときも一悶着あったとは…。たしかに、波乱万丈の人生だ。
章タイトル「地震とお城」として、小田原城(神奈川県小田原市)と地震との関係が語られているのもおもしろい。北条氏滅亡後、江戸時代以降の歴史だ。
稲葉正勝が北条氏康の植えた松を伐採したところ、翌年に大地震が発生。自身も死に至るほどの負傷をしたというエピソードが紹介されている。実際に小田原城を訪れてもその松の場所はわからないのだが、小田原城は相模トラフと富士箱根火山帯に挟まれた立地だから、小田原城郭史を語ろうとすれば災害史にもなるのは納得。実際に、元禄大地震で小田原城本丸御殿、二の丸御殿をはじめ建造物はほぼ倒壊・焼失。石垣や土塁も崩落している。
天守は宝永3年(1706)に修復されたものの、明治3年(1870)の廃城後に解体。天守台をはじめ本丸や二の丸の石垣も、大正12年(1923)の関東大震災で崩落した。現在の天守は、宝永年間(1704〜11)の再建時につくられた模型や設計図をもとに、昭和35年(1960)に復興されたものだ。
平成28年(2016)5月1日には、耐震工事を終えて小田原城天守閣がリニューアルオープンした。さまざまな苦難を乗り越えてきたサイドストーリーを知れば、訪れたときに感慨深いものがあるのではないだろうか。
今回ご紹介した書籍はこちら
(文・写真/萩原さちこ)