大河ドラマ「おんな城主 直虎」で当主として奮闘している直虎。なかなか大変そうな直虎ですが、それを取り巻く仲間たちがいい味を出してきたと思いませんか?井伊家家臣たちがどのように歴史に関わっていくのか、それぞれの人物紹介を通じて見ていきましょう。
イケてます!評価急上昇・中野直之
はじめは劇中で何かと直虎につっかかっていた中野直之ですが、ピンチの直虎を助けに来たシーンで惚れてしまった方も多いのではないでしょうか。私もそうです(笑)
史実の中野直之はというと、父・直由(ドラマでは筧利夫さんが演じていました)の戦死後に家督を継いでいます。元々、中野家は井伊氏の分家筋にあたり、直由は井伊氏の名代を任されるくらい有力な重臣。直之も父亡きあとの井伊家の家政に加わりました。
直之は井伊直政が徳川家康に謁見する際にも随行しており、井伊家にとっては欠かせない存在でした。慶長10(1605)年まで生き永らえています。
また、彼の娘は奥山朝忠(六左衛門)の妻になったともいわれています。となると2人は義理の親子ということになりますが・・・ドラマの雰囲気では想像できませんね。
気弱だけど存在感あり!六左衛門こと奥山朝忠
「六左衛門!」と直虎に呼ばれ、劇中では兄・孫一郎とはまるで正反対、ちょっと気弱な感じがする奥山朝忠。
奥山朝利の息子であり、しのやなつの兄として登場しますが、史実では朝利の息子・朝宗の子であるという説もあります。ちなみに、朝宗は桶狭間の戦いで戦死しています。
朝忠は、幼い直政が命を狙われた際に彼を鳳来寺へ逃がし、それに随行したとされています。
その後、直政が家康に出仕している間は領地にいましたが、天正8(1580)年に直政の元へ出仕、家臣となっています。江戸時代まで生存し、寛永6(1629年)に亡くなりました。
直虎は天正10(1582)年に亡くなり、中野直之は慶長10(1605)年に亡くなっていますから、朝忠が寛永6(1629)年まで生きたということは、朝宗の子という説もあるかもしれませんね。
井伊谷三人衆その1:鈴木重時
今川氏から井伊家の目付に任じられた井伊谷三人衆のひとり・鈴木重時は、劇中では少し井伊家に同情的なところがあります。それは、史実として井伊直親の母が鈴木家の出身だからなんですね。つまりは、直親の伯父(叔父)に当たると思われるからなのです。
重時の娘は、同じく井伊谷三人衆の菅沼忠久の妻となっており、2人は義理の親子となります。そして、いち早く徳川家康に調略された娘婿の誘いにより、彼もまた永禄11(1568)年に家康側へと寝返るのです。これが、小野政次(道好)によって乗っ取られた井伊谷奪還劇の契機となりました。
重時自身は翌年に戦死しますが、その息子が直政に仕えています。
井伊谷三人衆その2:近藤康用
鈴木重時が家康側に付いた際、一緒に寝返ったのが近藤康用です。ただ、この時点で老境に差し掛かっていたらしく、息子の秀用が主に戦場で活躍したようですね。秀用は小野政次(道好)がこもる井伊谷城を落としています。
井伊谷三人衆その3:菅沼忠久
同族・菅沼定盈の誘いによって家康側に寝返った菅沼忠久こそ、井伊家が井伊谷を回復する大きなきっかけを作った人物かもしれません。彼が義理の父・鈴木重時を誘い、そして近藤康用もまた取り込んで家康側へ寝返らせたのです。そして、井伊家当主となった直政の元に出仕しました。
直虎の周りにいる、一癖ある仲間(じゃないような人もいますが)たち。
彼らが直虎や直政たち、井伊家の行く末にどう関わってくるのか、劇中でも動向を見守っていきたいですね。
(xiao)
参照元
NHK大河ドラマ公式HP「おんな城主 直虎」
公式インスタグラム https://www.instagram.com/nhk_taiga_naotora/
「おんな城主 直虎」推進協議会
愛知県公式観光ガイド「Aichi Now」
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