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城郭研究家・西股総生の【 戦国の城・ネコの巻 】第7回「櫓の話」

城の極意を虎の巻よりはライトにお伝えする「ネコの巻」、今回は櫓(やぐら)について考えてみましょう。

写真1:僕の大好きな名古屋城清洲櫓。清洲城の天守を移築したという伝説に彩られた堂々たる三重櫓だ。
(写真提供:西股総生)

櫓は「矢倉」「矢蔵」と書くことも多いので、もともと武器庫の意味だったと思われがちです。でも、中世~戦国時代によく使われたのは、盆踊りの会場に建っているような井楼櫓。あの形だと吹きっさらしで、中の武器が濡れてしまわないか心配になりませんか?

実は、「やぐら」はもともと「矢倉」ではなく、「矢坐・矢座」だったという説があります。「矢を射るための場所」という意味です。これだと、盆踊りタイプの建物が「やぐら」と呼ばれるのも納得できますね。
中世の絵巻物には、武士の屋敷の入口に、木を組んで建てた「櫓門」が描かれていることがありますが、よく見るとそこに弓矢が描かれていることがあります。急な事態でも対応できるように、普段から武器を備えつけてあったようです。そんなことから「弓矢を置いておく場所」、ということで「矢倉」の字が当てられるようになったのかもしれません。

織田信長の事績を記録した『信長公記(しんちょうこうき)』という史料を読むと、安土城の「天主」は高さ十二間の「石くら」の上に建っていた、と書いてあります。近世の城の天守は、入口のところが地下倉庫のような形になっていますが、安土城に残っている天主台にも、やはり地階があります。

写真2:江戸城の天守台。入口の部分が地階になっている。
(写真提供:西股総生)

そこで、これまで多くの研究者たちが、この「石くら」を地階・地下倉庫の意味に解釈してきました。でも、十二間は20メートル以上になるから、ちょっと深すぎますよね。「石くら」を「石坐」と解釈すれば、高さ十二間の石垣の台の上に天主が建っていた、と読むことができます。「石くら」はズバリ天守台の意味だったわけです。

さて、近世の城の櫓には、隅櫓(すみやぐら)多聞櫓(たもんやぐら)があります。隅櫓は曲輪の隅のところに建っている櫓、多聞櫓は細長い長屋のような形をした櫓。ほかに、門の上に多聞櫓を乗せたような渡櫓門(わたりやぐらもん)があります。「ネコの巻」第5回で紹介した佐賀城の鯱の門は、渡櫓門の代表ですね。

こうした近世の櫓は、どれも分厚い土壁でできていて、表面は漆喰(しっくい)や下見板(したみいた)で覆われ、屋根には瓦が葺かれています。戦国時代の井楼櫓とは大違いですね。なぜ、櫓はこのような形になったのでしょう。

写真3:長屋のような形の多聞櫓。写真は江戸城本丸に残る御休息所前多聞。
(写真提供:西股総生)

分厚い土壁、漆喰、瓦葺き屋根。この形、何かに似ていませんか? そう、土蔵です。土蔵とは、大切な財産を火事から守るための耐火建物。櫓も同じです。戦国時代の後半になって、戦いが激しさを増し、たくさんの鉄砲が使われるようになると、木製の井楼櫓では敵の攻撃を防ぎきれなくなってきました。

そこで、鉄砲や火矢の攻撃にも負けないような頑丈で燃えにくい戦闘用の建物を、当時の建築技術で作りあげたのが、近世の城の櫓や天守なのです。櫓や天守の中には、表面が黒っぽい下見板張りになっている例がありますが、壁そのものは分厚い土壁でできているので、鉄砲でも簡単に撃ち崩すことはできません。
下見板は、土壁の表面が崩れないように押さえているだけですから、ちょっとくらい火がついても大丈夫。下見板張りの櫓や天守でも、よく見ると上の方の1/3くらいは漆喰で塗りごめてあります。軒に火が回らないための防火対策です。

ところで、安土城や石垣山一夜城肥前名護屋城など、織田信長・豊臣秀吉が築いた城の縄張りを見てゆくと、隅櫓の建ちそうな場所がほとんどありません。彦根城姫路城も、よ~く見ると多聞櫓はたくさん建っていますが、隅櫓はあまり多くありません。

どうやら、城に隅櫓がたくさん建つようになるのは、少し時期が下ってからのようなのです。私たちはつい、隅櫓の親玉が天守だと考えがちですが、事実はどうも逆。天守の小さいものが隅櫓と考えた方がよさそうなのです。城の中心に天守が建っているように、それぞれの曲輪の要所要所に建っているプチ天守が隅櫓、というわけです。

写真4:地震で被災しながらも毅然として建つ熊本城宇土櫓。天守並みの威容を見せている。
壁は下見板張りだが、上の方は漆喰塗りごめとしている。
(写真提供:西股総生)

そのつもりで隅櫓を見てゆくと、同じ城の中でも一棟一棟みな形が違っていて、思いのほか自己主張が強いことに気付きます。破風や石落としの付き方など、一棟ごとにオーダーメイドでデザインされているのです。

このところ僕がハマっているのが、櫓の窓。並びが意外なほど左右非対称で、見ていてあきません。櫓の窓は2個ずつのセットが基本ですが、2-2-2-1と一番端だけ1個になっていたりするのです。
こうなる理由の一つは柱の位置です。2個セットの窓を仕切っているのは、一見すると太い格子のようですが、実は柱。頑丈な櫓を支える柱ですから、充分な太さを持っています。窓は当然、柱と柱の間の壁に開けることになるので、柱の入り方によっては窓を等間隔で配置できない場合が出てきます。

写真5:江戸城の桜田二重櫓(巽櫓)。窓の配置は左右非対称。
石落としの窓が柱を避けているのがわかるかな?写真1・3の窓も、よ~く見てみよう!
(写真提供:西股総生)

でも、窓の並びが左右非対称になる理由は、それだけではなさそうです。櫓はもともと、敵に弓や鉄砲を射かけるための場所。だから、城内への侵入者を狙える場所に建てます。ということは、城に入ってくる人からもよく見える場所に建っているということ。
人目に付く建物なら、やはり外観デザインには気をつかいたいですよね。どうやら櫓は、見られる方向を意識してデザインされているようなのです。要するに「斜め45°から見て☆」みたいなことです。

というわけで、皆さんも今度どこかの城へ行ったら、じ~っくりと櫓を観察してみましょう。一棟ずつデザインに自己主張があって、見る角度によっても表情を変える。そんな櫓の魅力にハマってみませんか?

う~ん、隅櫓をやっつけないと
本丸を攻略できないにゃ。
(写真提供:いなもとかおり)

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【 戦国の城・ネコの巻 】連載一覧
第6回「城の形はネコ耳をめざす?」
第5回「夏はゆるりと平城を」
第4回「本当は怖くない八王子城御主殿の滝」
第3回「天守って何だ!」
第2回「深大寺城どうでしょう?」
第1回「プロローグ」
【 城の本場は首都圏だった!? 】続100名城もあり!『首都圏発 戦国の城の歩きかた』が発売

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