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【元禄文化を代表する人物がわかる】俳句や浄瑠璃、歌舞伎まで!

【元禄文化を代表する人物がわかる】俳句や浄瑠璃、歌舞伎まで!

徳川が治めた江戸幕府はさまざまな江戸文化を生み出しました。江戸時代の中でも5代将軍である徳川綱吉の頃に、上方を中心に発展した町人文化は「元禄文化」と呼ばれ歴史に名を残しています。貨幣の流通と共に経済が成長したこの時代、町人達は生活の余裕があり華美な文化に触れていました。今回は、そんな庶民達に愛された著名人や文化についてご紹介していきます。

「俳聖」と称される松尾芭蕉

松尾芭蕉は日本史上最も有名な俳諧師で、「俳聖」として世界的にも名が知られています。俳聖とは右に出るものがないほど優れた俳諧(連句)の作者を指す言葉です。芭蕉の研ぎ澄まされた感性で詠まれた芸術性の高い句は「蕉風」と呼ばれ、彼の大成した俳諧の概念は「正風俳諧」と呼ばれています。それまで民衆的な文学だった俳句を芸術品にまで昇華させたことが、芭蕉のすごさだといえるでしょう。

”おくのほそ道”で有名!松尾芭蕉の代表作品

松尾芭蕉と曾良

「奥の細道行脚之図」の芭蕉(左)と曾良です。(森川許六作)

【おくのほそ道】
江戸から奥羽、北陸までの約150日間の旅を記した俳諧紀行。門人の河合曾良(かわいそら)と共に巡ったもので、芭蕉の代表作として有名です。

【野ざらし紀行】
門人の千里と共に巡った伊賀上野への旅を記した俳諧紀行文。タイトルは、旅立ちの際に詠んだ「野ざらしを心に風のしむ身かな」の句に由来しています。

【俳諧七部集】
蕉門の代表的な撰集七部をまとめたものです。

文学界を開いた井原西鶴

井原西鶴(いはらさいかく)は15歳で俳諧師を志し、発句数を競う「矢数俳諧」を得意とするなど前衛的な作風で活躍しました。30歳頃になると作家に転進し、第一作目となる浮世草子「好色一代男」が評価を得て、好色本の他にも雑話ものや武家もの、町人ものと手がけるジャンルを増やしていきます。人々の生活の実態を客観的に描いたこれらの作品は、近代作家にも影響を与えたようです。

”好色一代男”で大好評!井原西鶴の代表作品

井原西鶴像

現在の大阪府にある生國魂神社の西鶴像。

【好色一代男】
西鶴の代表作といわれる好色物の浮世草子。主人公・世之介の人生全般にわたる好色生活を描いています。

【日本永代蔵】
町人物の浮世草子。勤勉さや知恵によって富を得ようとするものの、失敗してしまう町人の姿を描いています。

【世間胸算用】
町人物の浮世草子。大晦日に展開される町人達のさまざまな悲喜劇で、問屋から貧家まで多くの階層について描かれました。

新浄瑠璃を生んだ近松門左衛門

近松門左衛門の肖像

近松門左衛門の肖像。

近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)は、浄瑠璃や歌舞伎で名をはせた戯曲作家です。越前吉江藩に仕えていた父が浪人となったことから、10代後半に一家で京都に移住、後水尾帝の弟や正親町公通らの公家に仕えていました。近松はこの頃に古典的教養を身に付け、人形浄瑠璃の世界にも触れ始めたようです。近松は実際の事件を劇化した「曽根崎心中」で大きな成功を収め、その他にも義理人情や葛藤により生じる悲劇的な作品を多く残しています。

”曾根崎心中”で心中が流行った? 近松門左衛門の代表作品

曾根崎心中は、西成郡曾根崎村の露天神の森で起こった、お初と徳兵衛による情死事件を題材にした作品です。当時は歌舞伎でも公演されるほど、人々の関心をひいた事件でした。これ以降「心中物」ブームが起こり、実際に世間でも心中事件が多発しました。幕府はさまざまな対策を講じましたが、心中は減らなかったといいます。

『曽根崎心中』

『曽根崎心中』を上演している様子です。

傾き者!初代市川團十郎

初代市川團十郎は元禄歌舞伎を代表する歌舞伎俳優で、今日まで伝承される市川家の家芸「荒事」の創始者です。屋号は成田屋といい、歌舞伎の世界では名門中の名門。團十郎によって考案されたとされている見得は「元禄見得」と呼ばれています。14歳で初舞台を迎えた團十郎は、三升屋兵庫の名で脚本も残しています。現在でいうところの大御所芸能人だった團十郎ですが、最後は怨恨のため舞台上で刺殺されその生涯を終えました。

『金平六条通』の”坂田金平” 初代市川團十郎の代表作品

初代市川團十郎

大判錦絵より、初代市川團十郎の山上源内左衛門。

【『遊女論』:不破伴左衛門役】
團十郎の幼少の頃の詳細は伝わっていないものの、これが当たり役となったとされています。

【『金平六条通』:坂田金平役】
荒事芸を完成させ、絶大な人気を得ました。これにより市川宗家の基礎を築いたとされます。

【『わたまし十二段』:佐藤忠信役】
この役を演じている最中に刺殺されました。享年45歳。

日本画の菱川師宣と尾形光琳

菱川師宣(ひしかわもろのぶ)は浮世絵を確立した人物で、「浮世絵の祖」といわれています。それ以前の浮世絵版画は本の挿絵でしかありませんでしたが、菱川は一枚の絵画作品として、浮世絵の価値を高めました。その生涯において残した作品は絵本で100種以上、好色本で50種以上にのぼります。

また尾形光琳(おがたこうりん)もこの時代を代表する画家の一人です。富裕層を顧客として装飾的な作品を手がけた光琳は、大屏風のような大作から、扇面や団扇などの小品、手描きの蒔絵など多岐にわたる作品を残しました。装飾性に富んだ光琳独自の大和絵画風は「光琳模様」と呼ばれ、日本の装飾画の形態を完成させたとされています。

”見返り美人図”が代名詞! 菱川師宣の代表作品

『見返り美人図』

菱川師宣による『見返り美人図』。浮世絵の世界を切り開きました。

【見返り美人図】
菱川師宣の代表作として知られている作品です。

【歌舞伎図屏風】
菱川師宣の晩年作として定評があります。

大作!”八橋図” 尾形光琳の代表作品

「燕子花図屏風」

「燕子花図屏風」尾形光琳によって描かれました。美しい大作ですね。

【八橋図屏風】
尾形光琳の傑作の一つといわれる屏風で、晩年に描かれたものです。

【紅白梅図屏風】
尾形光琳の画業の集大成ともいわれる屏風で、金箔や銀箔が用いられています。津軽家に伝来しました。

絢爛豪華な元禄文化

元禄文化を代表する彼らは、後世に残る功績を残したり、独自の様式を確立したりと華々しい活躍をしました。町人社会にスポットが当てられた近世の文化は、現代でも馴染み深いものばかりです。この機会に、元禄年間の派手で豪華な文化に触れてみてはいかがでしょうか。

 

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