歴人マガジン

【龍馬の意思を受け継いで】北海道に理想郷を求めた甥・坂本直寛

北海道は、2018年に命名150年を迎えました。これを記念し、「ほっかいどう百年物語」という番組でこれまで数多くの北海道の偉人たちを紹介してきたSTVラジオによる連載企画がスタート。第7弾は、坂本龍馬の意思を受け継ぎ、土佐から北海道へと渡った龍馬の甥「坂本直寛」です。


現在、人口11万人を擁するオホーツク地方第一の都市・北見は今を遡ること107年前の明治30年5月6日、四国の高知県で組織された北光社移民団の入植によってその第一歩が記されました。その北光社の中心人物が坂本直寛です。幕末の風雲児・坂本龍馬の甥にあたる直寛は明治維新後、土佐自由民権運動の代表的な理論家となり、また敬虔なクリスチャンでもありました。坂本直寛は故郷高知を捨て北の大地・北海道に豊かな理想郷を建設しようとしました。

新天地での決意

「自由民権運動だけでは本当に貧しい人々を到底救うことはできんちゃ!」

高知県会議員・坂本直寛は強い憤りをどこにもぶつけることができません。

「ご一新の世の中と言ったってにわか政治家たちは私利私欲だけを追い求め、腐りきっちょる。そいでて上士だ郷土だと、意味の無い身分制度や古いしきたりに振り回されているこん土佐ではもう一歩も前には進めんわ!」

「こうなったらこの地を捨てるしかない。違う土地でわれらの理想とする町を作っちゃろう!」

明治29年8月。北海道が実りの秋へと季節を変える頃、44歳となった坂本直寛は、仲間を移住させるため、視察に訪れたクンネップの原野に一人佇んでいました。

「ここが新天地・北海道か。美しい、実に美しい風景だ。抜けるように青い空、草花が黄金食に輝き、何者にも荒らされておらん。生きとし生けるものの魂の原点がここにある…。おいたちの新たな生きる道が…」

幼い頃から自由を愛し、自由民権運動へと身を投じてきた直寛。しかし、彼の思いとは裏腹に、金にまみれた政界に行く手を阻まれる日々でした。

「身分も地位も、何もかも捨てて新天地ば切り拓くんじゃ。古い慣習に縛られ、しがらみん多い土佐を捨てるんじゃから、まるで明治の脱藩じゃ」

どこまでも続くオホーツクの豊かな大地で坂本直寛は決意を新たにしました。

自由で平等な社会を求めて

1853年10月5日。坂本直寛は父・高松順蔵と、坂本龍馬の姉・千鶴の次男として、かつての土佐藩・安田村に生を受けました。直寛が幼い頃の高松家には、文武の教育に努める父のもとへ、叔父の坂本龍馬をはじめ、中岡慎太郎など将来を有望視される血気盛んな若者が集まっていました。日本の将来を憂い、次々にこの土佐から巣立っていく若者達を見つめながら少年期を過ごした直寛は、正義を愛し自由への憧れがひときわ強い若者へと成長していきます。

「善か悪かと言えば、善が正しいに決まっちょる。わしは自分の信念を曲げることは好かん」

中途半端が嫌いで一途な性格。頭が良く弁の立つ直寛は、その正義感ゆえに周囲のものをやり込めてしまう性分でした。

15歳となった1868年、ついに江戸幕府が倒れ、明治維新となります。新政府は士農工商の身分制度を撤廃し四民平等を高らかに謳い上げました。

「新しい時代が始まるんじゃ!龍馬おじさんや慎太郎さんたちが命を賭けて作ろうとした新しい日本じゃあ!」

青年期を迎えた直寛は、高知でも屈指の自由民権派の私設学校「立志学舎」に進み、欧米の学問を学びます。土佐は江戸時代から他藩に比べ身分制度が厳しく確立しており、その差別意識は尋常ではありませんでした。同じ武士階級でも上士と郷士に分けられその待遇は天と地の違いがありました。そのため土佐は、維新後どこよりも自由民権運動が盛んとなったのです。

直寛は学校で「自由とは上流階級だけのためにあらず。私たち民衆のためにあるのだ」という哲学思想と「神のもとでは、全ての民が平等である」というキリストの教えを学び、深く傾倒します。それは彼が求めていた理想でした。

「今や貴族も平民もない!今こそ民衆の力で、自由で平等な新しい社会を築こうではないか…」

板垣退助らが結成した立志社跡の碑。直寛が学んだ立志学舎は立志社が開設した教育機関でした。

県会議員として活躍するも…

立志学舎きっての精鋭と言われた直寛は、地元新聞への執筆や、国会設立の遊説など精力的に自由民権運動に身を投じ、板垣退助に随行しては全国へも赴きました。32歳にして高知県会議員に初当選を果たしますが、歯に衣着せぬ鋭い舌鋒で、周囲から疎ましく思われていきます。

あいまいさを許さない直寛の性格が、相手をとことん追いつめてしまい、そんな彼を政治家や上級役人たちはやっと手にした自分たちの地位や権力が奪われてしまうのではないかと恐れるようになり、ついに議員の資格を剥奪し投獄しました。

「おまんら、誰のおかげで明治維新が成ったと思うちょる。一緒に戦って死んでいったおまんらと同じ身分の低かった先輩方のおかげじゃろうが。ちょっとばかし地位や名誉やらを摑んだからって、人間の性根を変えてしまうとは情けないにも程がある!」

獄中の直寛の耳には在りし日の坂本龍馬や中岡慎太郎の声が聞こえてきます。

「みんなが幸せに生きられる、身分制度なんか何も無い、新しい日本を作るんじゃ…」

「龍馬おじさん、おいさんたちがせっかく作ってくれた世の中だけんどもまだまだ根本的にまちがっちょる。おいはこん土佐を見限る。しきたりやら何やら多すぎる土佐では、もうおいは力が出ん。見守っていてつかあさい」

明治21年(1888)、坂本直寛らが出席していた高知教会での礼拝風景

出獄後、直寛は、榎本武揚によるメキシコ移住計画を風の便りで知り、自分もその計画に参加しようと考えます。ちょうどその頃、同じく土佐の政治家で、キリスト教を信奉する武市安哉(たけち あんさい)が、高知に見切りをつけて北海道・浦臼へ移住すると聞きました。

「坂本君。今の高知ではいかんちゃ。私はひと足先に北海道へ行くことにした。もう土佐には帰ることもないきに…」

「武市先生。先生も同じことを考えちょったとですか。実は私もメキシコという新天地での事業を考えちょったとです。ここのしがらみから離れて、真の理想郷ば拓きたかとです」

「坂本君、君の叔父の坂本龍馬は、生きる術を失くした武士のために北海道を目指していたというではないか。君も北海道へ来んか。甥の君が行かんで、誰がいくんじゃ」

直寛の心に突然、光が差してきました。

「武市さんの言うとおりじゃ。私が行くべきところは北海道じゃ。行こう!北海道へ!」

彼は、熱心なキリスト教信者や旧自由党員の仲間達と共に、移民による事業を起こすため合資会社「北光社」を結成します。土佐の貧しい農民や差別によって虐げられてきた人々の先頭に立ち、自らの私財をなげうって新天地への情熱を燃やす直寛。その姿に心打たれた人々は、彼の強烈なリーダーシップを頼りに、将来の夢を託したのです。

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