日本を代表する画家といえば、誰を思い浮かべるでしょうか。歴史上には多くの著名な画家がいますが、その中でも高い知名度を誇るのが葛飾北斎です。北斎は江戸時代後期の浮世絵師で、化政文化を代表する人物の一人とされています。その絵画は現在でもさまざまなシーンで使用されるため、多くの方がご存じですよね。
今回は北斎の代表作や彼の画法、また影響を与えた芸術家についてご紹介します。
浮世絵師:葛飾北斎の代表作とは?
北斎は3万点を超える作品を残したといわれています。そんな北斎の代表作には、どのようなものがあるのでしょうか。
富嶽三十六景
『富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)』は、名所浮世絵揃物(そろいもの)の一つです。
富嶽とは富士山のことで、この浮世絵シリーズは各地から富士山の景観を描いたもの。中でも「神奈川沖波裏」「凱風快晴(通称:赤富士)」「山下白雨」は「三大役物」と呼ばれ、同シリーズ中の傑作とされています。
当時、浮世絵による風景画は「名所絵」と呼ばれ、役者絵や美人画と並んでヒットしました。この作品は北斎の晩年期の作品で、最も有名な日本美術作品の一つにもなっています。
北斎漫画
『北斎漫画』は、絵手本(絵の教本)として発行されたスケッチ集です。発表後は、職人の意匠手引書にも用いられるなど広く普及していきました。「さまざまな職業で使用される道具」「ふざけた顔」「妖怪」といったものから、技法の一つである遠近法まで、幅広い内容になっています。
全15編の版本(彩色摺[すり]絵本)で、画数は全部で4000以上。初版は北斎が54歳の頃に発行されました。海外では「ホクサイ・スケッチ」と呼ばれることもあるようです。
百物語
『百物語』は、怪談「百物語」をテーマとして妖怪を描いた化物絵です。天保2~3年(1831~1832)ごろに発表された全5図の中判の錦絵で、当初は100図ほどの揃物として企画されたようですが、現在確認できるのは「お岩さん」「皿屋敷」「笑ひはんにや」「しうねん」「小はだ小平二」の5図のみとなっています。四谷怪談と皿屋敷をモチーフにした2図が特に有名です。
千絵の海
『千絵の海』は、漁をテーマとした中判の錦絵で、変幻自在な水の表情と漁業にいそしむ人々の様子が描かれています。天保4年(1833)ごろに発表された10図揃物で、「絹川はちふせ」「総州銚子」「宮戸川長縄」「待チ網」「総州利根川」「甲州火振」「相州浦賀」「五島鯨突」「下総登戸」「蚊針流」があります。
発表されなかった版下絵があることから本来は全12図の予定だった可能性が高いのですが、手間がかかり採算が合わないなどの理由から、残り2図はお蔵入りとなったと考えられています。
諸国滝廻り
『諸国滝廻り』は、全国の有名な滝を描いた名所絵揃物の大判の錦絵です。天保4年(1833)ごろに発表されたもので、版元は『富嶽三十六景』と同じ西村屋与八(永寿堂)となっています。
全8図で、「下野黒髪山きりふりの滝」「相州大山ろうべんの瀧(たき)」「東都葵ケ岡の滝」「東海道坂ノ下清流くわんおん」「美濃ノ国養老の滝」「木曽路ノ奥阿彌陀ヶ瀧」「木曾海道小野ノ瀑布(ばくふ)」「和州吉野義経馬洗滝」があります。
肉筆画帖
『肉筆画帖(にくひつがじょう)』は、全10図一帖からなる肉筆画(紙本着色)です。正式な作品名称は「前北斎卍翁肉筆画帖」。天保5~10年(1834~1839)に発表されたもので、北斎の晩年の傑作といわれています。天保の大飢饉(ききん)の際、北斎は肉筆画帖をたくさん描いて売ることで餓死を免れたそうです。
「福寿草と扇面」「鷹」「はさみと雀」「桜花と包み」「蛇と小鳥」「不如帰(ほととぎす)と虹」「鰈(かれい)と撫子」「蛙とゆきのした」「鮎と紅葉」「塩鮭と鼠(ねずみ)」などがあります。
代表作から見える北斎について
生前に多くの作品を残した北斎は、後世にさまざまな影響を与えました。さらに北斎の画風の影響は、国内にとどまることなく、海外にも及んでいたのです。
森羅万象を描いた北斎
北斎は若い頃から意欲的で、この世のありとあらゆるものを描き尽くそうとしました。
浮世絵版画のほかにも肉筆浮世絵や風景画にたけており、『北斎漫画』では達者な画力や速筆を、読本(よみほん)や挿絵では毛筆による形態描出も披露しています。晩年には銅版画やガラス絵にも手を伸ばしたそうで、最期までその意欲は衰えなかったようです。油絵にも関心があったといわれますが、残念ながらこれには着手できずに一生を終えました。
北斎は生涯で25以上の画号を使用しており、ここにもこだわりが感じられます。主な号が「春朗」「宗理」「北斎」「戴斗」「為一」「卍」、それ以外の「画狂人」などは副次的なものだといわれています。現在広く知られている「北斎」は「北斎辰政」を略したもので、北極星や北斗七星を神格化した北辰妙見菩薩(ほくしんみょうけんぼさつ)信仰にちなんでいます。
多くの芸術家に影響を与えた
北斎は葛飾派の祖となり多くの門人を抱えました。『葛飾北斎伝』によると、北斎は自ら教えることを好まず、門人に請われたら自らの画手本を出して作画させ、短所を指摘するだけという態度だったそうです。あまりに素っ気ないようですが、それでも北斎に師事したことは大きかったのでしょう。
それ以外にも、浮世絵師として著名な歌川国芳、歌川国直、渓斎英泉(けいさいえいせん)らが北斎の影響を受けたといわれています。
北斎は海外での評価も高く、19世紀ヨーロッパの芸術シーンに影響を与えたことでも有名です。ゴッホなどの西洋画家やドビュッシーのような音楽家が、彼の絵に触発されたり、着想を得たりしたともいわれています。
1999年の『ライフ』(アメリカの雑誌)の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」という企画では、唯一の日本人として86位にランクインしました。
多くの影響を与えた天才画家
北斎はその一生で数多くの作品を精力的に描きました。奇人とも呼ばれている彼は、衣食に頓着せず、散らかった部屋でひたすら作画していたそうです。また金銭にも無頓着だったため、高い画料を得ていたにもかかわらず生涯貧乏暮らしだったといわれています。
このように真剣に絵と向き合ってきた北斎だからこそ、人々の心をつかむ作品が描けたのでしょう。その影響力は遠い海外にまで及び、今なお評価され続けています。
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