2019年4月1日、「平成」に続く新しい元号「令和」が発表されました。最古の「大化」から数えて248番目の元号です。今回の改元はさまざまな点において「史上初」といわれ、海外からも注目を集めています。
普段なにげなく使用している元号ですが、そもそも改元にはどのような意味があるのでしょうか。
そこで今回は改元の経緯や、新元号の出典元となる『万葉集』の成立や由来、また代表的な歌人と和歌についてご紹介します。
新元号は「令和(れいわ)」
元号とは天皇の在位期間を基準とした「紀年法」のことです。もともとは中国の漢時代に使われ始めたもので、これが日本にも伝わりました。
改元の経緯
改元は天皇が即位するときに行われますが、昔の日本では大地震のときや疫病が流行したときにも元号を変えていました。これは改元によって災いを断とうとする考えがあったからです。しかし明治になり「一世一元の制」が定められてからは、皇位継承の場合に限り元号を変更することとなりました。その後、第二次世界大戦の敗戦に伴い皇室典範が改正されたことで元号は法的根拠を失いましたが、昭和54年(1979)に「元号法」が施行され、今日に至っています。
今回の「令和」への改元は、天皇陛下がご高齢のため息子の皇太子徳仁親王さまへの譲位を希望されたことによって行われたものです。天皇の譲位は約200年ぶりとなり、退位による改元は憲政史上初となりました。
出典元は「万葉集」
「令和」の典拠は『万葉集』で、「梅花(うめのはな)の歌32首」の序文から2文字がとられました。この序文は、天平2年(730)の正月に大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で行われた梅花の宴(うたげ)の様子を表したものです。
■原文
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」
(初春のよい月で、空気は清く澄みわたり、風はやわらかくそよいでいる)
※現代語による抄訳の一例
元号は中国の漢籍から採用するのが慣例でしたが、今回は初めて国書由来となりました。安倍晋三首相は、『万葉集』は日本の国民文化と伝統を象徴する国書で、さまざまな立場の人の歌が詠まれていると述べています。新元号には「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められているそうです。
「万葉集」とは?
有名な『万葉集』ですが、その内容については詳しく知らない人も多いかもしれません。どのような書物なのか、その概要や由来について見ていきましょう。
日本最古の和歌集
『万葉集』は、7世紀から8世紀後半にかけて編集された日本最古の和歌集です。全20巻からなり、天皇御製歌をはじめとして貴族、下級官人、大道芸人といったさまざまな身分の人の歌が4500首以上集められています。中には作者不明の歌も少なくありません。
内容は「雑歌(ぞうか)」「相聞歌(そうもんか)」「挽歌(ばんか)」の3分類で、すべて漢字(万葉仮名を含む)で書かれているのが特徴です。
書名の由来について
由来については諸説あり、『古今和歌集』の仮名序にある「やまとうたは人の心をたねとしてよろづのことのはとぞなれりける」という一文から「万の言の葉=多くの言の葉=歌を集めたもの」と解釈するもの、「末永く伝えられるべき歌集」とする説、それ以外にも「木の葉をもって歌にたとえた」といった説などがあります。
研究者の間では、「葉=世」として「万世まで末永く伝えられるべき歌集」とする考え方が主流のようです。これは『古事記』の序文にある「後葉(のちのよ)に流(つた)へむと欲(おも)ふ」を根拠とするものです。
万葉集の有名な歌人と和歌
『万葉集』には多くの和歌が集められていますが、その中でも特に有名なものがあります。歌人とともにいくつかの和歌をご紹介します。
額田王
額田王(ぬかたのおおきみ)は飛鳥時代の皇族・歌人で、大海人皇子(おおあまのおうじ、天智天皇の弟、のちの天武天皇)の妻です。天智天皇にも寵愛(ちょうあい)されていたといわれ、その複雑な関係の中で以下のような句を詠んでいます。
■巻1 歌番号:20
「あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る」
(あかね色の紫草の野を行きながら、野の番人は見ていないでしょうか、あなたが手を振るのを)
これに対し大海人皇子も返歌していますが、その場には天智天皇もいたため、これらは宴席での余興だったようです。ちなみに『万葉集』には、天智天皇の和歌「三山歌」(さんざんか)も収録されています。
柿本人麻呂
飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は、山部赤人(やまべのあかひと)と並んで「歌聖」と称えられる人物です。平安時代以降は神格化もされ、和歌の名人「三十六歌仙」にも名を連ねています。天武天皇9年(680)には歌人として活動しており、持統天皇時代に才能が開花したようです。
■巻3 歌番号:266
「近江の海 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば 心もしのに 古(いにしえ)思ほゆ」
(琵琶湖の夕波の上を飛ぶ千鳥たちよ、お前が鳴くと私の心はしんみりして昔を思い出してしまう)
山部赤人
奈良時代の歌人・山部赤人は、天皇讃歌が多いことから聖武天皇時代の宮廷歌人だったと考えられています。『万葉集』以外にも『拾遺和歌集』などの勅撰(ちょくせん)和歌集に選ばれており、自然の美しさを詠んだ叙景歌が有名です。以下の句は『古今集』や『源氏物語』にも引用されるほど親しまれています。
■巻8 歌番号:1424
「春の野に すみれ摘みにと 来(こ)し我そ 野をなつかしみ 一夜(ひとよ)寝にける」
(春の野原にすみれ摘みに来たが、野辺の美しさに心ひかれて、つい一夜を明かしてしまった)
山上憶良
山上憶良(やまのうえのおくら)は奈良時代の貴族・歌人です。大宝2年(702)には唐に渡って儒教や仏教を学んでおり、その思想が歌風にも反映されています。当時としては珍しい「社会派歌人」で、感情描写にもたけていました。
以下の句は「萩(はぎ)・尾花・葛花(くずはな)・撫子(なでしこ)・女郎花(おみなえし)・藤袴(ふじばかま)・桔梗」の7種の花を表しており、現在は「秋の七草」として有名です。
■巻8 歌番号:1537
「秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数ふれば 七種(くさ)の花」
(秋の野に咲いている花を、指を折って数えると、次の7種類の花が美しい)
大伴旅人
大伴旅人は飛鳥から奈良時代にかけての公卿(くぎょう)・歌人です。大伴家は武門の名門で、彼は大宰府の長官に赴任してすぐに妻を亡くしました。この赴任は藤原家との確執が原因ともいわれ、当時60代半ばだった旅人にとっては不本意な左遷だったといえそうです。彼は妻をしのんで以下のような句を残しています。
■巻3 歌番号:438
「愛(うつく)しき 人のまきてし 敷栲(しきたえ)の 我が手枕(たまくら)を まく人あらめや」
(愛しい人が枕にした私の手枕を、亡き妻以外に枕にする人はいない)
日本の古典から初の元号
今まで漢籍から採用されてきた元号ですが、今回は初めて日本古典文学『万葉集』が出典とされました。由来が発表されると同時に『万葉集』の関連書籍が在庫切れになるなど、書店ではさっそく特需が起こっているようです。
『万葉集』には、有名【平成の次の元号は?】どうやって決めてるの?日本の元号の歴史な歌人の和歌以外にもさまざまな歌がおさめられています。多種多様な当時の感性や思想を知ることは、これからの多様性の時代を生きる上でも役立つかもしれません。これを機に『万葉集』に触れてみてはいかがでしょうか?
<関連記事>
【平成の次の元号は?】どうやって決めてるの?日本の元号の歴史
【気になる平成の次は?】天皇譲位による新元号の定め方とは
【2019年4月30日に退位】退位後の天皇陛下は「上皇」と呼ばれるのか?