歴人マガジン

第21回「劇団ひとりに受け継がれた土佐二十三士の魂!」【歴史作家・山村竜也の「 風雲!幕末維新伝 」】


幕末維新の志士や事件の知られざる真実に迫る連載「風雲!幕末維新伝」。第21回のテーマは「劇団ひとりに受け継がれた土佐二十三士の魂」です。

劇団ひとりは勤王志士の子孫

タレントの劇団ひとりさんと私が数年前、あるテレビ番組でご一緒したときのことです。カメラがまだ回る前、隣に座る私にひとりさんが話しかけてきました。

「山村先生は土佐藩のことにもお詳しいんですよね。……二十三士ってご存じですか?」
「にじゅうさんし? ああ野根山屯集の二十三士ですね」
「はい。実は僕、そのうちの一人の子孫なんです」
「ええっ、そうなんですか!」

私は驚きました。劇団ひとりさんのコミカルな芸風と、野根山二十三士の激烈なイメージが一致しなかったからです。いやそもそも、幕末の志士の子孫が現在芸能人になっているケースなど、めったにありません。私の知っている限りでは、ほかに3人ほどでしょうか。

さらにお話を聞くと、ご先祖の名前は「川島総次」とのこと。確かに、ひとりさんの本名は川島省吾というので、ああ本当なのだと思わせてくれました。姓がたとえ変わっていたとしてもご子孫には違いないのですが、やはりそのまま同じというのは魅力的です。

しかし、川島総次を含む野根山二十三士は、同じ土佐の坂本龍馬や岡田以蔵などとは違って、世間的にはあまり知られていません。彼らは幕末史において、いったいどのような存在だったのでしょうか。
その悲劇的な末路も含めて、以下に述べていきましょう。

武市瑞山救出のために野根山に屯集

武市瑞山(半平太)が獄中において書いたとされる自画像。
(京都大学付属図書館所蔵品)

土佐勤王党の首領武市瑞山(半平太)は、文久3年(1863)9月から藩牢に入獄していましたが、元治元年(1864)7月、土佐安芸郡の同志たちが武市を救出しようと動き出しました。ちょうど長州藩軍が京都に向かって進軍しており、それに呼応した行動でした。

主謀者は清岡道之助という有能な人物で、32歳。左目が不自由であったため、独眼龍の異名をとっていました。この清岡ら23人の志士が、7月25日、安芸郡田野村の旅籠に集合し、26日、野根山街道の岩佐関番所を占拠して武装決起します。

岩佐関は要害の地でしたが、二十三士の木下嘉久次は同番所の番頭で、川島総次も番士だったため、容易に手に入れることができたのです。川島は最年長の41歳。一同のまとめ役になっていたことが想像されます。

翌27日、清岡道之助は従兄の治之助と連名で、武市の解放と藩政改革を訴える嘆願書を藩庁に送りました。ただ、これは却下される恐れもあったため、その場合には一同は岩佐関から甲の浦に出て、海路京都に脱出する計画を立てていたのです。

はたして土佐藩庁は、清岡らの嘆願を却下し、二十三士の行動を反乱とみなして追討の兵を派遣します。数百の藩兵が岩佐関に迫り、清岡らは逃亡して甲の浦に向かいました。

そこにはあらかじめ帆船が用意してあるはずで、清岡らはなかなか用意周到だったのですが、あろうことか船が風浪にはばまれて予定通りに到着していませんでした。どこを探しても船が見当たらず、一同は落胆します。

やむなく彼らは、追っ手から逃げるために隣の阿波徳島藩領に踏み入りました。しかし、他藩の武装した集団が入国することは許されず、二十三士は徳島藩によって身柄を拘束されてしまいます。
二十三士の野根山決起計画は、ここに潰えたのでした。

野根山二十三士、奈半利河原に散る

土佐の浜辺

一か月あまりの間、徳島藩領の一寺院で起居していた二十三士は、9月3日から4日にかけて土佐藩に引き渡され、安芸郡田野村の獄舎に収容されました。本来ならば、そのあと高知城下の獄に移されるはずでしたが、土佐藩庁の態度は強硬でした。

藩主山内豊範(容堂の養子)の名で出された通達が残されています。

「郷士清岡道之助ら二十余人、徒党を結び、兵器を携え、野根山中に馳せ集まり、事を構え強訴し、ついに自国を捨て阿州路へ逃亡致す条、不届き至極、その罪吟味を待たず、東郡中において速やかに首刎ぬべき者なり」

なんと藩庁における取り調べもおこなわず、安芸郡に身柄をとどめたまま、全員即刻首をはねよというのです。高知城下に移されれば、それなりに自らの主張を述べることができると思っていた清岡のもくろみは、むなしく消え失せてしまいました。

元治元年9月5日、安芸郡を流れる奈半利川の河原で二十三士の処刑がおこなわれました。最期のときを前に、清岡は同志全員に聞こえるように声をかけています。

「ことすでにここに至る。運命なり、また何をか言わん。諸君、従容刀を受け、志士の本分を汚すことなかれ」

一同は口々に「然り」とこたえ、河原に敷いたむしろの上に一列に着座しました。そして、清岡道之助を手始めに首斬り役人が一人ずつ首をはねていき、やがて23人全員が刑場の露と消えていったのです。それは、幕末史のなかでも屈指の凄惨きわまりない光景でした。

二十三士の姓名と年齢は次のとおり。

  • 清岡道之助(32歳)
  • 清岡治之助(39歳)
  • 近藤次郎太郎(25歳)
  • 柏原禎吉(27歳)
  • 新井竹次郎(26歳)
  • 木下嘉久次(21歳)
  • 木下慎之助(16歳)
  • 宮田頼吉(31歳)
  • 豊永斧馬(27歳)
  • 宮田節斎(29歳)
  • 須賀恒次(30歳)
  • 千屋熊太郎(21歳)
  • 安岡鉄馬(18歳)
  • 田中収吉(22歳)
  • 寺尾権平(24歳)
  • 横山英吉(24歳)
  • 岡松恵之助(30歳)
  • 小川官次(21歳)
  • 檜垣繁太郎(16歳)
  • 川島総次(41歳)
  • 柏原省三(30歳)
  • 吉本培助(21歳)
  • 宮地孫市(19歳)

(『維新土佐勤王史』の記載順による)

このうち主謀者の清岡道之助と次之助の2人は、断首されたあと首が雁切河原にさらされました。道之助の妻・静は、夫の首を持ち帰り、作法通りに柄杓の柄で胴体とつなぎ合わせて手厚く葬ったといいます。

何人かの者は辞世の句が伝わっていますが、川島総次にはそうしたものは何も残されていません。ただ、人柄は温厚寡言で、他人と争うことがなかったと伝えられています。好人物であったのでしょう。

川島の死後は、妻・縫との間に生まれた男子が家を継ぎ、5代のちの子孫が劇団ひとりこと川島省吾さんということになります。

ちなみに川島の妻の縫は、安芸郡北川郷の志士・中岡慎太郎の姉でした。とすれば、川島の子孫である劇団ひとりさんは、中岡慎太郎とも縁続きになり、その姻族関係の妙に驚かされます。

幕末に激しく生きた志士・川島総次の魂を、劇団ひとりさんが直接受け継いでいるかどうかはわかりません。しかし、芸能界にあって唯一無二の個性とマルチな才能を発揮する劇団ひとりさんが子孫であることによって、今後は川島総次や野根山二十三士に以前よりも脚光が当たるようになるはずです。幕末史を愛する私たちにとって、それは大変幸せなことというべきでしょう。

 


「世界一よくわかる坂本龍馬」(著:山村竜也/祥伝社)

幕末維新の英雄としてあまりにも有名な坂本龍馬。しかし、これまでは過度に美化されてきたところも。NHK大河ドラマ「西郷どん」「龍馬伝」の時代考証家が史料を読み込み、人間・龍馬の真の姿を解き明かす。

 

 



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