徳川家康の家臣団には多くの逸材がいたが、そのなかで特に「武勇」の誉れ高い人物のひとりが井伊直政だ。NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』でも描かれたように、井伊谷の当主・井伊直虎(次郎法師)に育てられた彼は、家康の小姓として活躍。やがては譜代筆頭・彦根藩の藩祖に登りつめ、後世「徳川四天王」のひとりに数えられるまでになった。
直政をはじめ、井伊家・彦根藩の戦装束として名高いのが「赤備え」である。井伊家以外でも、武田家や真田家などの軍装として使われていたことはよく知られる。そこで今回は、その「赤備え」に着目。いつから「赤」は戦場の華となったのか、なぜ人を魅了するのか……そんな秘密に迫ってみたい。
デメリットも多かった?「赤い軍装」の発祥とは
「赤備え」とは、主に戦国時代の将が用いた戦装束のことで、赤色に統一した軍団を指した。単に大将格の人物が赤の甲冑や陣羽織を着用するだけでなく、兵士の装備、馬装、旗指物など陣中のものの多くに赤色を用いた部隊のことである。
そもそも、赤は目立つ。戦場では真っ先に敵の標的になりやすい。しかし同時に敵を威嚇したり、己の武功を周囲に知らせるには絶好のカラーでもある。狙われやすいデメリットはあっても、腕に覚えがあれば「赤」を身に付けてみたくもなったのだろう。
だが、衣類などを染める赤色の原料はとても高価で、気軽に使えるものではなかった。伝統的な原料は5世紀ごろ日本に上陸し染料に使われた紅花(べにばな)で、古くは高貴な身分の人間しか着用できない特別な色だったのである。
とくに赤の軍旗は天皇家のものとされ、大海人皇子(天武天皇)が壬申の乱で掲げていたことが起源という。中国・前漢の初代皇帝となった劉邦が赤い軍旗を用いていたと伝わり、大海人皇子はそれに自分をなぞらえたとされる。晩年には元号を「朱鳥」(しゅちょう/あかみとり)と改元してもいる。これにあやかる形で軍旗に利用したのが、平清盛に代表される平氏である。
「海上には赤旗あかじるしなげすて、かなぐりすてたりければ、龍田川の紅葉ばを嵐の吹ちらしたるがごとし――」(『平家物語』)
これは「壇ノ浦の戦い」で敗れた平氏の滅亡を、寂寥感たっぷりに描いた場面だ。これに対し、源氏の「白旗」もよく知られている。また、このほかにも『平家物語』には赤を用いた装束の武者が多く登場する。
公家や貴族は天皇のカラーである赤を使うのを憚ったが、当時の武士は殺生をする汚れた存在とみなされ、そうしたモラルが適用されなかったと思われる。結果的に、この「蔑視」が武士の戦装束に自由を与え、多様性を生んだようだ。ただし、当時の甲冑の色とは小札(こざね)という甲冑の小さなパーツをつないだ糸である「威」(おどし)の色だった。
戦国時代の後期に入ると大型の鉄板をつないだり、一枚の鉄板を打ち出したりする新たな製造法が主流となる。こうしてつくられた新式の甲冑は「当世具足」(とうせいぐそく)と呼ばれた。表面は鉄がむき出しのため、漆を塗って保護しながら見栄えを良くした。これに食器や装飾品で使われてきた漆器の技術が使われ、赤塗りの甲冑が誕生したのである。赤を出すために使われたのが、辰砂(しんしゃ)という鉱石だ。国内での産出量が少なく、輸入先の中国でも高値で取引される高級品だった。このため、赤い甲冑を作るにはかなりの経済力を要した。
戦国時代の「赤」の嚆矢は、やはり武田信玄
「赤備え」を最初に採用したのは、武田信玄だったようである。信玄のトレードマークとされる白く長い毛に覆われた諏訪法性(すわほっしょう)兜は、前立(まえだて)に赤い鬼の顔があしらわれている。赤い法衣をまとった姿で描かれることも多いほか、赤い軍旗「諏訪神号旗」を用いたことでも知られる。
武田軍で「赤備え」を率いたのが、武田信虎の代から仕えた飯富虎昌(おぶとらまさ)であった。『甲陽軍鑑』の記述によれば、飯富虎昌から赤備えが始まり、虎昌の没後は浅利信種(あさりのぶたね)、小幡信貞(おばたのぶさだ)、内藤昌秀(まさひで)が、それを引き継いだという。
ちなみに、虎昌の弟・山県昌景(やまがたまさかげ)が「赤備え」を引き継いだという逸話も知られるが、これは江戸時代後期の徳川家の史料にしか見えず疑問視する声も多い。「長篠合戦図屏風」を見ると、昌景の部隊は赤い甲冑や槍を装備しているものの、軍旗は紺地である。赤以外の甲冑を身につけた兵士もいて、必ずしも赤に統一されていたわけではなかったようだ。
武田の「赤備え」を継承した井伊直政
武田氏が滅亡した天正10年(1582)、その遺臣を自軍に取り込んだのが、ご存じのように徳川家康である。やはり『甲陽軍鑑』に、家康は「飯富虎昌の赤備えにならって井伊直政に赤装を命じた」という記述がある。
当時22歳だった直政。家康が彼にいかに期待をかけていたかが窺えよう。武田の赤備えの勇猛さは天下に知れ渡っていたから、まだ目立った戦功がない直政に赤備えを与えることで箔がつく。そんな効果があったとみることができよう。
井伊の赤備えの初陣は、家康が豊臣秀吉と激突した小牧・長久手の戦い(1584年)である。赤備えの慣例通り先陣を切った直政は、指揮官でありながら単騎、敵陣に突入した。大将が突撃すれば部下たちも突撃するしかない。このとき秀吉軍の兵士たちが、次々と猛攻をしかけてくる直政の軍勢を恐れた。その様子をさして、人々は「井伊の赤鬼」と呼んだという。
直政は、たびたび周囲に諫められながらも、この戦法をやめずに功績を挙げ続けた。それが災いして、関ヶ原の戦い(1600年)では敵方の島津軍を猛追した際に被弾。その傷がもとで42歳の生涯を終えている。
直政死後も、井伊の赤備えは代々受け継がれた。大坂冬の陣では次男の直孝が赤備えを率いて出陣。合戦がなくなった江戸時代にも、有事の備えとして甲冑が大切に管理・整備され、代々の当主や世子も赤い甲冑を新調した。『常山紀談』によると、兵の赤甲冑は櫃に入れて城内の蔵に保管したという。そうしてしっかり管理しないと質に入れてしまう者がいたそうだ。
「井伊」対「真田」、継承者同士の戦い
戦国時代の赤備えとして、井伊の赤備えと双璧をなしたものに「真田の赤備え」がある。これは、武田氏の遺臣でもあった真田信繁(幸村)が、大坂の陣で用いた軍装だ。「大坂冬の陣」における真田丸の戦いでは、直政の次男・直孝率いる「井伊の赤備え」と「真田の赤備え」が激突したといわれる。
井伊直政と異なり、残念ながら信繁所用と伝わる甲冑は黒いものだけで、赤く塗られたものはない(観光地などにある赤い甲冑はレプリカ)。その代わりに「大坂夏の陣図屏風」には、東軍に「井伊の赤備え」、西軍に「真田の赤備え」が、ひときわ目を引く形で描かれている。
また『左衛門佐君伝記稿』には、夏の陣における信繁のいでたちが「鎧は緋威(ひおどし)」、「紅の厚総(馬具に垂らす厚い房飾り)」と記述されているなど、真田の赤備えの記録は確かに残る。さらに真田家の家譜『先公実録』によれば、「躑躅の花の咲きたる如く」だったという。家康にあと一歩まで迫った信繁の猛攻は、後世まで語り草となった。その信繁が身に付けていたかもしれない赤い具足は、戦で相当に傷んだであろうし、いつしか行方知れずになってしまったのだろう。
人間の本能に訴えかける「赤」のメカニズム
人は、なぜ「赤」を特別な色として認識するのか。最も根本的な理由として考えられるのは、自然界の赤に危険を示すものが多いからだ。もっとも分かりやすいのが「火」の色である。ほかに海水の酸素を奪って魚を死亡させる赤潮は、赤いプランクトンの大量発生によって起こる。中でも赤いプランクトン(アレキサンドリウム・カテネラなど)には毒性があり、これを貯めた貝を食べると人間にも被害が及ぶこともある。また、地上最強級といわれる毒を持つ、サンゴヘビは名が示す通りに赤い。これらを警戒するうちに、人は赤を信号機の色などにも使い、「危険」という意識を持ったのではないか。
その一方で、赤は「成熟」を示す。発情期のニホンザルのお尻や、産卵期のベニザケの体表、リンゴの実などが赤くなることは有名である。人間の女性が口紅など使う背景にも、性的魅力をアピールする目的があると考えられる。「種の継続」は生命体の本能的欲求であり、人間も例外ではない。赤を見ると精神が昂り、目を奪われるのは当然といえよう。
危険と知りながらも引き寄せられる赤。これには、着用する者の意識も高揚させる効果があると考えられている。ここに深くかかわる物質がテストステロンだ。男性の第二次性徴期に多く分泌される男性ホルモンで、筋肉や骨格を発達させ、いわゆる男性らしさを形成する。スポーツの試合の勝者は、敗者より血中のテストステロン濃度が高いという研究がある。
闘争本能をむき出しにする戦場に「赤」で臨むことは、オスとしての優位性の誇示でもあった。そうした動物的本能が「赤備え」を特別視する意識につながっているのだろう。ドラマなどで「赤備え」を眼にするとき、そんなことにもチラッと考えを及ぼせば、より味わい深く作品を楽しむことができるに違いない。
(文・上永哲矢/歴史随筆家)
大河ドラマ「おんな城主 直虎」
放送日時:2021年4月7日(水)放送スタート 月-金 朝8:00~
番組ページ:https://www.ch-ginga.jp/feature/naotora/
出演:柴咲コウ(おとわ/次郎法師/井伊直虎)、三浦春馬(亀之丞/井伊直親)、高橋一生(鶴丸/小野政次)、杉本哲太(井伊直盛)、財前直見(千賀/祐椿尼)、貫地谷しほり(しの)、阿部サダヲ(竹千代/徳川家康)、菜々緒(瀬名/築山殿)、前田吟(井伊直平)、小林薫(南渓和尚)、柳楽優弥(龍雲丸)、菅田将暉(虎松/万千代/井伊直政) ほか
制作:2017年/全50話
作:森下佳子(『JIN-仁-』、連続テレビ小説『ごちそうさん』)
音楽:菅野よう子
語り:中村梅雀
コピーライト:©NHK