【レキシズル流 幕末のいろは①】短いけど濃い!16年間を理解する方法
【レキシズル流 幕末のいろは②】「思想」を理解しちゃおう!
【レキシズル流 幕末のいろは③】「考え」を知り、人物に当てはめてみる
【レキシズル流 幕末のいろは④】 佐幕の「美しい記憶」
【レキシズル流 幕末のいろは⑤】幕末を難しくした男
さて、このいろはのコラムも今回で最終回。読んでくださった皆さんに、深く感謝しています。
始まりがあれば終わりがある。今回はどのように幕末という時代が終焉を迎えたのかを書きたい。龍馬が「大政奉還」を推進し、幕府がその政治体制を天皇に返したことで、「倒幕」と「佐幕」が殴り合わずに済んだ、と思いきや時代はそれを許さなかった。
龍馬は暗殺され、結果「倒幕」の薩摩長州は天皇を抱き込み、「佐幕」の幕臣や会津を、「ほれ、殴ってみろよ」と様々に挑発。真っ赤に燃えた「佐幕」派は京都の郊外で刀を抜いた。とうとう戦が始まった。
しかし「佐幕」派はまだまだ力を持っていた。なんせ200年以上政権を維持した江戸幕府が中核である。本気でつぶそうと反撃したならば、ひっくり返すことも可能だったはずだ。だが大阪にいた15代将軍徳川慶喜は意外な行動に出る。
世紀の大どんでん返し。慶喜はその理由を明確には云わなかったが、天皇に弓を引く「朝敵」という汚名を避けたかったのだろう。ここから「佐幕」派の本格的な瓦解が始まる。何せヘッドである将軍が戦を放棄した。幕府軍や会津は口あんぐりで敗れ、江戸に向かって敗走。
ここから「倒幕」の薩摩長州は最強の旗を掲げ進軍。その旗とはー
これで心理的には勝負が決まった。なぜなら天皇の軍隊に発砲するなど、当時の日本人にはムリな話。なんせ「尊王」の民族だからね。いまでもキツい。将軍慶喜も自主的に謹慎、江戸も開城。
ここから「佐幕」派は連戦連敗。中核を担った会津藩も激烈に戦ったが敗れた。
だが、ここで諦めずに戦い続けた男がいる。
「倒幕」vs「佐幕」、最後の戦いである箱館の五稜郭。ここで土方は獅子奮迅の働きをしたが、最後は銃で撃たれ倒れる。その後五稜郭が落ちて、「佐幕」派は壊滅。
そして、幕末が終わる。
レキシズル流、幕末という時代の定義はー
6回に渡って幕末を書いてきたが、あくまでザッとした入口。細かく説明すればキリがなく、そしてわかりづらい。あくまで僕の仕事は幕末に興味を持ってもらう仕掛け創り。もしこのいろはをきっかけに、皆さんなりに何か深く幕末を掘ってもらえたら嬉しい。
最後に、僕が思う幕末をワンコピーで締めます。
【プロフィール】
渡部麗(わたなべりょう)
歴史クリエイター。
東京・御茶ノ水で歴史コミュニケーションメディア「レキシズル」を主宰。所有しているショットバーの水曜日を「レキシズルバー」として開放。歴史好きの交流を活性化しながら、畳敷きのイベントスペース「レキシズルスペース」で歴史をポップにわかりやすくプレゼンする「TERAKOYA」などを開催。
「レキシズル」オフィシャルサイト