織田信長

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信長の安土城はこうして生まれた!『火天の城』|萩原さちこの城メグ図書館(第3回)

何度読み返しても胸が熱くなる、好きな小説だ。織田信長の居城、安土城の誕生がドキュメンタリータッチで綴られる。信長の目線ではなく、棟梁・岡部又右衛門の目線で描かれるという着想が、斬新奇抜。築城のプロセスだけでなく、職人の苦悩や葛藤、父子のスト...
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【 猿じゃない秀吉、ヤンデレな謙信… 】 こんなイケメンだったら歴史も変わってた?女性向けゲームに蘇った戦国武将たち

漫画やアニメで一大ジャンルとなっている「歴史もの」。特に戦国時代を舞台とした作品は多く、人気も博しています。 各作品ともに歴史上の人物は新たなキャラクターとしてアレンジされ、思わず「原型はどこに残ってるの?!」と叫びたくなるものも少なくあり...
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【 秀吉の一人勝ち? 】悲喜こもごも…清洲会議で一変した運命

天正10年6月27日、かの有名な清洲会議が行われました。 映画「清須会議」で一気にクローズアップされることになった清洲会議ですが、この会議の裏側では武将たちの思惑が交錯していたのです。 もちろん、思い通りにいった人物もいれば、不本意な結果に...
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【戦国のエリート部隊】若き前田利家も!戦場の華・母衣武者とは

戦国時代の戦を描いた絵を見てみると、大将の側にある様々な馬印や旗印、兵が背中に指している旗指物など、隊を象徴する目印が見られます。 こうした印を身に付けることは、自分の居場所を知らせると同時に、敵の攻撃が自分に向かうことも考えられました。 ...
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【6月2日は本能寺の変】もしも信長の嫡男・信忠が生きていたら歴史はどう変わった?

天正10(1582)年6月2日、戦国の覇王・織田信長が家臣・明智光秀の謀反によってこの世を去りました。 この「本能寺の変」から数日後、中国征伐の途中だった羽柴秀吉が一気に軍勢を畿内へ引き返し、「山崎の合戦」で光秀を討ち取ると、信長の後継者と...
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【信長の命名センスに脱帽】戦国時代にもキラキラネームはあった!武将たちの意外な幼名

近年、子供の命名に一見読めないような当て字を使った「キラキラネーム」が話題になっています。 しかしそれは現在に始まったことではありません。戦国時代にも、数々の武将が幼名にいわゆるキラキラネームを付けられていた事を知っていましたか? 今回はそ...
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【ご先祖は有名人】偉人の家系ならではの苦労も…子孫たちが語るエピソード

先日もご紹介した歴史上の人物の子孫たち。 吉川晃司はあの人の子孫だった!偉人の「意外なご子孫」まとめ 歴史上に名を残した人物の子孫の方々には、子孫だからこそ知っているその家系の習わしや歴史上の出来事などがあるようです。そうしたエピソードは私...
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【家康、お前もか…】昔の日本は男色だらけ!出世も大奥も男色が元だった

昔の日本は、西洋に比べると随分と性に対して開放的でした。『男色』もそのひとつです。実は古事記にもそういう記述が登場しているのです。長い歴史において、男色はすでにひとつの文化となっていたのですね。今回は、そんな男色についての記述が残っている歴...
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【信長はやっぱり凄い】孫子で検証する桶狭間の戦い

5月19日は、戦国最大級の逆転劇・桶狭間の戦いが起こった日です。 永禄3(1560)年、上洛しようとした今川義元は、約4万(通説では2万とも)の大軍で尾張に攻め込みました。一方、織田信長の軍勢はわずか3千の軍。しかし結果は、信長が義元を討ち...
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【 5/22は名古屋城へ! 】新・織田信長 & 加藤清正のお披露目式へ参陣セヨ

2009年の発足以降、全国の武将隊を名実ともに牽引してきた「名古屋おもてなし武将隊」。 計10名のメンバーは何度かメンバーチェンジを繰り返して活躍してきましたが、今回、織田信長と加藤清正の2名がオーディションにより決定、きたる5/22(日)...
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