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【 羨ましい?】 遊ぶのは自分磨きのため!平安貴族のライフスタイル

【 羨ましい?】 遊ぶのは自分磨きのため!平安貴族のライフスタイル

月曜日になると、働きたくない!学校行きたくない!など、憂鬱な気分になる方も多いのではないでしょうか。
そんな時、昔の人ってどんな生活をしてたんだろう?と気になりますよね。
それでは、雅で華やかなイメージがある平安時代、実際に平安京に暮らす貴族達の生活とはどういったモノだったのか覗いてみましょう。

平安貴族は超・朝型生活!

平安時代とは、794年から1185年までの鎌倉幕府が成立するまでの時代を指します。
平安京で暮らす人々の朝はとても早いです。
一日の始まりは御所の扉が開く合図である開諸門鼓(かいしょもんこ)の音で始まるのですが、開門時間は午前3時
現代人の感覚では、「朝早い」というよりも「夜遅い」に近いかもしれませんが、貴族達はこの合図を目覚まし代わりにして起きます。

目が覚めると、先ず「占い」を行います。
平安時代は生活の中に占いが組み込まれている事が当然だったため、朝目が覚めたら、まずは星の名前を7回唱えるのです。
それから星を、暦を、鏡に映った自分の顔をチェックし、今日一日の吉兆を判断。
あまりに運勢が悪いと出た場合は、仕事を休み一日家の中で過ごす事になりますが、職場で怒られる事はありません。
だって「占い」でそういう結果になったのですから!(羨ましい!)

その後は昨日の出来事を中心に日記を書き、朝食や歯磨きを済ませ、午前6時にはメインの扉が開く合図が聞こえてくるので、出勤。

事務仕事や天体のチェックや占いなど、自身の職場で4時間ほど仕事をすれば、お昼前には帰宅できます。
午前中にすべての仕事は終了し、お昼から寝るまでの時間は自由に過ごして構わないという、朝が早いもののゆったりとした生活サイクルでした。

自由時間は何をして過ごすの?

平安の雅な世界が描かれた「源氏物語画帖」

平安の雅な世界が描かれた「源氏物語画帖」

貴族の生活で重要な事は「遊ぶこと」
和歌を詠み、すごろくで楽しみ、蹴鞠で体を動かす・・・、そういった「自分の好きな趣味」を行うのが生活の中心です。

ただ、この「遊び」は貴族としてとても大切な要素。
平安貴族の社交界では、遊びを知らない人間は一切評価されず、和歌も上手に詠めない人間は結婚相手も見つかりません。
自分磨きのために貴族は遊ぶのです。

周囲の人間とのコミュニケーションも重要です。
特に男性は周囲の人間のご機嫌をとらなければ出世もできませんし、なにより平安京は「噂」が大事。噂で人物の評価が決まります。
また、「才能のある良い女性が居るよ」という噂を聞いて、男性は顔も見たことのない女性にアプローチをかけるのですから、周囲の人と良い人間関係を築き、自身の良い噂を流してもらいながら正確な情報の噂を仕入れなければなりません。

モテにモテた和泉式部は「浮かれ女」と呼ばれるほど

モテにモテた和泉式部は「浮かれ女」と呼ばれるほど

どんな所に住んでいたの?

平安時代は遣唐使が廃止され、日本独自の美意識を追及した国風文化が花開いた時代です。
高位の貴族の邸宅は、太鼓橋の架かった池や季節の草花などが広がる庭を有した寝殿造りが一般的です。広い庭の中では、貴族たちが集まり音楽の演奏や踊りを楽しむ宴(えん)も催されていました。

寝殿造りが再現された「伽羅御所」

寝殿造りが再現された「伽羅御所」

平安京の内部に住む住人は10万人~12万人ですが、平安時代の総人口は500万人~600万人だとされています。

優雅な生活が送れる平安京の住人である貴族達は、一握りの特権階級であった事は確かなようです。
平安時代の庶民達は栄養状態が悪かったため平均寿命が短く、地方の住居は竪穴式住居もまだ多かったとか。

このような一極集中社会で格差が激しくなった結果、貴族以外の人間や地方からの反乱で平安時代は終わりを迎えてしまう結果になってしまいます。

いかがでしょうか。
自由時間が多いのは羨ましい一方で、噂で評価が決まるなんて、よっぽどコミュニケーション能力が高くないと生きていけなそう・・・
そういう意味ではまだ現代のほうが気楽でいいのかもしれませんよ。
ということで、今週も頑張りましょう!(笑)

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