歴人マガジン

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【 逆に応援したくなる 】 水攻め失敗…本戦遅刻…あの武将の戦下手エピソード

【 逆に応援したくなる 】 水攻め失敗…本戦遅刻…あの武将の戦下手エピソード

戦国武将ともなれば、戦上手で当然・・・とは思いますよね。
しかしやはり例外はいます。そんな武将が戦の指揮を執ったらどうなるでしょうか。
・・・結果はおのずと見えてくるのですが、それでも一生懸命頑張った武将たちを今回はご紹介しましょう。

「やっぱりデスクワークが良いです…」石田三成の忍城攻め

「戦下手は真実か?石田三成」

「戦下手は真実か?石田三成」

豊臣秀吉の小田原(北条氏)攻めにより、豊臣軍は各地の城を落としにかかりました。そんななか石田三成に任されたのが、武蔵国にあった豪族成田氏の忍城(埼玉県行田市)攻めです。この城は沼や川を堀とした堅牢な城で、とても攻めにくかったそうです。

元は秀吉の指示とも言われますが、三成は水攻めを試みます。
農民を招集し、石田堤と呼ばれる堤防を完成させて川の水を引き込み、忍城を水浸しにしようとしました。

ところが、三成の目論見は外れ、城が沈みません。
それに追い打ちをかけるかのように、折からの雨で石田堤が決壊してしまいます。(成田方がこっそりと細工したとも言われています。)
濁流が押し寄せ、豊臣方は戦わずして270人の死者を出してしまいました。しかも水が引いた後の城周辺はぬかるみ、馬も人も歩けません。

援軍も加わりますが、三成が抜け駆けして突撃したという話もあり、豊臣方の足並みは乱れっぱなしでした。
そして成田方の一丸となった猛反撃に遭い、忍城総攻撃は失敗に終わったのです。

遅々として進まぬ忍城攻めでしたが、小田原城が先に落城したことで終了となりました。
難攻不落と言われた小田原城が落ちたのに、まだ落ちない忍城・・・。これによって戦下手のイメージがついてしまった三成は「やっぱり内政がいい」と思ったかもしれません。

二代目は戦経験無し!徳川秀忠、上田合戦と関ヶ原で大失態

「為政者としては優秀だった徳川秀忠」

「為政者としては優秀だった徳川秀忠」

徳川家康の後継者・秀忠は、関ヶ原へ向かう道筋で上田城を攻めることとなりました。
対するは真田昌幸・信繁。百戦錬磨の強者父子です。

秀忠は田畑の稲を刈ってしまう苅田戦法を用いて真田を誘い出そうとします。すると兵が出てきました。
してやったり!と秀忠が思ったかどうかはわかりませんが、徳川方は真田の兵を追い立てて城門へ突入しようとします。
ところが、そこで門が開きました。その向こうには居並ぶ鉄砲隊・・・。
昌幸の計により、一斉射撃を浴びた徳川方は大混乱に陥りました。その後も信繁の奇襲により本陣を引っ掻き回され、挙句の果てには濁流に呑まれて踏んだり蹴ったりの状態となったのです。

このおかげで秀忠は関ヶ原の本戦に遅刻し、家康を激怒させてしまいました
ちなみに秀忠、冬の陣では遅参しないように強行軍でやってきた結果、兵が疲労困憊し使い物にならなかったそうです・・・。

稀に見る負けっぷり!常陸の不死鳥・小田氏治

「戦下手すぎて支えたくなる小田氏治」

「戦下手すぎて支えたくなる小田氏治」

常陸国小田(茨城県つくば市)の大名、小田氏治は、天性の戦下手と言っても良いでしょう。
周辺に結城氏や佐竹氏、北条氏など強い勢力がいたため仕方ないのですが、とにかく戦に負けています。
そして居城の小田城を奪われ、やっと取戻し、また奪われ・・・の繰り返しです。しかし領民と家臣には慕われており、誰も彼を見放すことはありませんでした。どこか魅力ある人物だったのでしょうね。

秀吉の小田原攻めにも召集されましたが、佐竹氏相手の戦いに忙殺されて参加せず、怒りを買い領地を没収されてしまいました。その後は娘が結城秀康の側室だった縁故により、その領地で余生を送ったそうです。

いかがでしたか? 特に小田氏治の負けっぷり、応援したくなります。。
忍城攻めに関しては諸説あるようですが、戦国武将といえどもみんな戦上手というわけではなかったのですね。

(xiao)

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