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【 幕末に散った刹那 】農民から幕臣に登り詰めた新選組局長・近藤勇のサクセスストーリーと末路

今日は幕末の激動期に名を轟かせた新選組の最高指揮官である局長・近藤勇(こんどう・いさみ)について調べてみました。

この内容は、歴史好きにとっては旧知の史実として伝えられていますが、新選組ファンの方にはあまり楽しくない内容かも・・・
しかしまずはベースとしての基礎知識を知ることが重要。あえてここは一般的に伝えられている彼の半生を追ってみたいと思います。

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剣の腕一本でのし上がったサクセスストーリー

近藤勇というと勇ましい武士というイメージですが、元は農民の出。

現在の東京都調布市に当たる武蔵国多摩郡上石原村に生まれ、最後は幕臣にまで登り詰めた人物で、世の中が激変しなければ、後の政府の要職を務めたかもしれないようなサクセス・ストーリーを辿った男です。

幼名を宮川勝五郎といった近藤勇は、15歳になると同時に天然理心流の剣術道場・試衛館に入門し、剣術の腕前を磨き頭角を現していく。
試衛館の師範代として門弟たちの指導に当たるようになった勇は、25歳のときに武家の娘を嫁にもらい、26歳にして天然理心流宗家となり、公私ともに充実した生活を送るようになります。すごいスピード出世ですよね。
しかし、勇の稽古は手加減なしの厳しいもので、門弟たちは怪我が絶えなかったそうです。

長女も誕生して、幸せな家庭生活を送っていた勇でしたが、策士として名高い清河八郎の呼びかけに応じて、14代将軍・徳川家茂の京都上洛の警護を担当する浪人を集めた「浪士組」に参加したことから、勇は、歴史に名を残す新選組局長への道を辿ることになります。

 

清川八郎 

清川八郎

後の新選組となる浪士組は、当初は将軍の警護と言われていたが、清河八郎の狙いは尊皇攘夷(天皇を担ぎ上げて外国人排斥を主張する思想)、
言うなれば「バリバリの国粋主義者」であったため、近藤勇らは幕府のために働くことを主張して清河とは距離を置くことに。

この清川八郎については、レキシズル渡部首脳が「幕末おもしろ日本人」の第1回目に取り上げて書かれていますので、そちらも参照ください。

関連記事:【レキシズル流 幕末おもしろ日本人①】「魔術師 清河八郎」

浪士組から新選組へ 粛清と謀略の日々・・・

その後、身分の不安定だった浪士組の面々は、松平容保公率いる会津藩預かりとなって、「壬生(みぶ)浪士組」と名を変えて公式な傭兵部隊として京都の治安を守る任務に就きます。

しかし、浪士組では、意見の対立などから、仲間でも容赦なく闇討ちしたり暗殺を繰り返したり、濡れ衣を着せて切腹に追い込んだりと、凄惨な粛正や謀略が日常的に行われており、一般的に幕末の志士に抱くイメージとは異なる側面もあります。
やがて、浪士組は新選組と組織を改め、近藤勇が最高指揮官である局長として隊士たちを率いて、京の街に名を轟かせていきます。

新選組は京都市中の屯所(合宿所のようなもの)で集団生活を送っており、ほとんどの隊士が単身者か妻子を江戸や郷里に残しての単身赴任だったが、一般の隊士たちが厳しい規則に縛られて、日々危険に晒される任務をこなしながら、むさ苦しい男だけの屯所暮らしを強いられ、ケンカや諍いが絶えない暮らしをしているのを横目に、局長である勇だけは、屯所のそばに家を建てて妾を囲ったり、女遊びを繰り返したりと、部下の評判は芳しいものではなかったといいます。

また、意見を別った幹部クラスの脱退はともかく(これも暗殺されているケースが多いが)、新選組に除隊は認められておらず、京に流入するならず者を片っ端から検挙して町人の人気を集めていた新選組に、入隊志願者は尽きなかったそうです。

しかし一方で、死と隣り合わせの厳しい生活を強制されるが除隊は認められず、殺されるまで永久に隊士で明ければならず、脱走者が相次ぎ、粛正されたり切腹に追い込まれたりする者も絶えなかったとか。

若き日の勇は(といっても死んだのが満33歳だが)、妻子を愛するよき夫であり、よき父だったようですが、京都に渡って新選組を率いてからは、局長として手腕を発揮するものの、郷里にいた頃とは別人のように女遊びに溺れていくのは、重責を担うプレッシャーと死と隣り合わせの生活からのストレスからだったのでしょうか。

近藤は、剣術の腕と戦略家としての才覚は抜群で、少数の部下や側近からは崇拝されていたものの、激しい気性と日頃の行いから、残念ながら広く人望を集める人物とは言い難かったようです。

壮絶な最期は打首獄門。そのとき彼の心をよぎったものはなにか・・・

やがて幕府公認の傭兵部隊のような存在だった新選組も、激動の時代の波に飲まれ、幕府(旧幕府)軍自体が明治新政府軍から負われる賊軍となったため、近藤勇もお尋ね者となり、起死回生を狙いながら奔走するものの、最後は官軍に捕らえられて、処刑されるという末路を辿ります。

勇は斬首刑の後、さらし首にされますが、最終的にその首の行方は分からず、弟子や遺族が刑場の官吏に金を掴ませて、何とか首のない亡骸だけを持ち帰り、埋葬したそうです。
当時は、斬首刑にされた者は、埋葬も許されなかったというほどですから、大変に悲しい人生の終わり方だったと言えるでしょう。
そして、近藤勇が処刑されてから数ヶ月後、明治維新となり、日本の体制は大きく変わることになります。

農民の生まれながら、剣術の腕だけで幕臣にまで登り詰めた近藤勇。有能なリーダーではあるものの、人望があったは言い難い面もあり、実に人間臭い人物と言えるだろう。
開国・明治維新への道筋が違ったら、明治以降も閣僚となって国を動かす一員となっていたかもしれず、興味は尽きませんね。

近藤勇が死んでから、まだ150年も経っていません。
再び日本の行末をかけた大きな局面にあるいま、彼は何を思うでしょうか。

副編集長Y

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