【歴史ミステリー】隠された「唐津湾異国船焼き討ち騒動」を独自調査してみた

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佐賀県唐津市の唐津城は、松浦川河口の唐津湾に突き出た満島山上に聳える白亜の城。

絵はがきのように美しい景観で、観光客の人気を集めていますが、この城の天守閣には、一門の「南蛮大砲」が展示されています。

そして、その大砲には不思議な伝承が残されています。

江戸時代の初め、唐津湾に突如、正体不明の異国船が出現。
驚いた唐津藩は数百艘の軍船を繰り出して、その異国船を火攻めにして沈めたといわれます。
唐津城に伝わる「南蛮大砲」は、のちに引き揚げられたその異国船の大砲であるというのです。

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こちらが唐津城の模擬天守。
唐津城は文禄4年(1595年)、唐津に封ぜられた豊臣秀吉の側近、寺沢広高が築城しました。
異国船焼き討ち騒動の当事者でもある寺沢堅高は広高の子で、唐津藩の第2代藩主でした。

当時、寺沢家の所領は天草にもありましたが、堅高の時代「島原の乱」が起こり、乱は天草にも広がります。
幕府軍十数万の出動によって乱は鎮圧されますが、堅高はその責を問われて天草領を失うことに。

禁教令以後、寺沢氏は天草でキリシタンの弾圧をおこなっていました。そして、堅高の死後、子が無かった寺沢家は断絶、唐津藩は改易になっています。

正体不明の異国船を一気に火攻め。唐津湾異国船焼き討ち騒動の顛末とは!?

唐津湾の真ん中に高島という島が浮かんでいます。
高島は高さ170mほどの台形の島ですが、その平らな頂きに唐津藩の遠見番所が在りました。

ある朝、遠見番所の役人たちは、眼前に巨大な船影を見ます。
その異形の船は長さ五十間(90m)ほどの巨船で、船腹には二十余の砲門が不気味に並んでいました。

異国船出現の報せはすぐに城へ届けられました。
驚いた唐津藩主・寺沢堅高は、直ちに陣触れを出し、海岸線に数千の軍勢を配置します。同時に賊船来航の報せが隣の福岡藩に送られ、福岡藩も海岸線に軍勢を布陣しました。

翌日、唐津藩は数百艘の軍船を漕ぎ出して、その異国船を十重二十重に取り囲みます。
翌々日には福岡藩の軍船数百も加わり、柴草船百艘に火をかけて異国船を風上より火攻めにし、遂には砲撃をも加えてその異国船を沈没させてしまいました。

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唐津湾に浮かぶ高島を天守より望む

闇に葬られた異国船焼き討ち騒動の真実とは!?

この事件があったとされる正保元年(1644年)、我が国は鎖国体制にあり、交易を許された中国とオランダの船も、入港は長崎のみに限られていました。

この異国船がどこの船で、どういった事情で唐津湾に現れたのかは、一切不明。
また、騒動の報告を受けた幕府からは何の恩賞も、またお咎めも無かったとされます。
ただ、引き揚げられた大砲に残る紋章などから、オランダの船ではなかったかとも噂されています。

この事件は唐津城下に残された文書に記載されたものです。
独自に調査したのですが、不思議なことに唐津、福岡の両藩の公文書には記録が残されていません。

唯一、福岡藩の支藩、秋月藩の文書にそれらしき記述があるのみです。
両藩の公式の記録から消されたともみえ、なんとも謎めいて、作為が感じられる話です。
幕府が西欧唯一の交易国、オランダの船を意思が通じぬままに攻撃して沈めたことを闇に葬ったものでしょうか。

異国船キャプテンの憤死と海底深く葬られた乗員たち。 そして、藩主の謎の死が意味するものとは!?

文書によると、異国船のキャプテンは金色の帽子に赤地の飾りある衣服を着た二十歳ばかりの若者であったとされます。

五、六十人の乗員を引き連れて船櫓に登り、何やら言葉を発して頭を下げ、拝していたところを、唐津勢の三十匁筒によって射ち抜かれ、無残にも血煙りをあげて船櫓より転落したと記されます。

そして、火攻めにされた異国船は炎々とした焔に包みこまれ、乗員たちの必死の消火の甲斐もなく、やがて唐津勢の砲撃をも受け、数百の乗員を乗せたまま、渦を巻いて高島沖の海底深く葬られたとされます。

殊に、鎖国体制や禁教令が招いた悲劇というべきでしょうか。

のちに寺沢堅高は犠牲となった異国船のキャプテンをはじめ、乗員たちの怨念を鎮めるために、寺沢氏の菩提寺である近松寺の僧侶をして、高島沖で三日三晩に亘って霊の供養を行っています。

しかしその3年後、堅高は謎の自殺を遂げているのです。
島原の乱による心労が原因ともいわれますが、その死の理由(わけ)は不明であると言われています。
闇に葬られたとされるこの歴史秘話、信じるか信じないかはあなた次第です・・・

唐津城天守よりの眺望。
天守よりの眺望。右が松浦川、左が唐津湾。今は穏やかな景観をみせています。

唐津城
佐賀県唐津市東城内8-1
天守閣観覧料 大人(15才以上)410円、小人200円
開館時間 9:00~17:00

(あらき 獏)

参照元:
唐津城」あそぼーさが(佐賀観光情報ポータルサイト)
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