【 5月27日は百人一首の日 】 ウザ男への切り返しがお見事!百人一首の歌・女性編

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【 5月27日は百人一首の日 】 ウザ男への切り返しがお見事!百人一首の歌・女性編

百人一首に関する2016年5月現在最古の記録は、『明月記』の文暦2(1235)年5月27日項。
このことから5月27日は「百人一首の日」と定められています。

百人一首は学校でも覚えさせられるほど一般社会に流布している歌集。とはいえもう覚えてない、そもそもじっくり鑑賞まではしてない、という人が大半ではないでしょうか。

そこで、百人一首の日を記念して、改めて百人一首の魅力に迫ってみます。今回の記事では女性歌人による歌を2首ご紹介します。
※男性編はこちら!

失恋しても自分より相手を気遣う。右近の38番歌

038

「忘らるる 身をば思はず ちかひてし 人の命の 惜しくもあるかな」

「忘れられてしまう自分のことは気にしてないの。誓った人の命が心配なのよ」

直訳するとこんな感じですが、「誓った人」についてちょっと。

この歌が詠まれた平安時代では、「誓う」というのは神仏にすることでした。この歌の流れからすると、相手の男性は詠み人の女性のことを「忘れない」、つまり一生愛するとでも神仏に誓いを立てたのでしょう。そして当時は神仏の存在感は大きく、天罰は広く信じられていました。

・・・ということをおさえてこの歌を見てみると、男の不義理が途方もなく重いものに感じられてきます。それに対するこの歌は、それでも男を想ういじらしさか、果ては痛烈な皮肉か・・・どちらなんでしょうね?

ちなみに作者の右近は、藤原季縄の娘。季縄が右近少将だったことから、娘も右近と呼ばれたようです。
季縄は別名「交野の少将」。「源氏物語」以前は美男子の代名詞だった「交野少将物語」の主人公・交野少将のモデルの1人といわれています。

面倒な男性への痛快な返し。小式部内侍の60番歌

060

「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立」

歌意の前に作者のプロフィールを確認します。
詠み人は小式部内侍。母の和泉式部は、「源氏物語」の紫式部や「枕草子」の清少納言とも並び称される美しい才女で、歌の上手でもありました。

そんな母が、夫の転勤に同行して丹後国に行ってしまいます。
小式部内侍は1人都に残って出仕しますが、ある時藤原定頼に絡まれます。いわく、「歌はどうしているのか。丹後に使いはやったのか、それとも丹後から使いは来てないのか。なんとも心細いことでしょうな」と。
「母親と離れて寂しいだろうし、母親と相談しなければ何もできないだろう」とでも言いたいのでしょうか。なんとも感じの悪い人ですが、小式部内侍はこの歌で見事に切り返しています。

「大江山へ行く生野の道は遠いので、まだ天の橋立にも踏み入ってませんし母からの文も見てません」

大江山、生野、天の橋立は都から丹後の国へ向かう時に通る場所です。その地名を盛り込みつつ、技巧を凝らして「母からの文は来ていない」、つまり完全に自作の歌と表明しながらたたっ切ってるんです。お見事!
いつの世も面倒な人はいるもの、小式部内侍の鮮やかな返しは見習いたいものです。

女性は政治の中心からは遠くにいることが多く、その分、瑞々しい心情を素直に詠んだ歌が多いように感じられます。
当時の人がどんな考え方をしていたか。現代に生きる我々と似てるかどうか。その辺を探るにも、歌の鑑賞は有効かもしれませんね。

なお、別の記事で男性歌人による歌も2首紹介しています。そちらもどうぞご覧ください。
※男性編:実は深イイ話?深読みすると面白い百人一首の歌・男性編
(Sati)

参照元:小倉百人一首殿堂「時雨殿」HP https://www.shigureden.or.jp/

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