2016年は徳川家康没後400年という節目の年だとご存知でしたか?
この節目となる本年にふさわしい、ビッグプロジェクトが静岡市で開始されました。
それは、家康が幼年期、壮年期、晩年を過ごした駿府(現静岡市)に江戸城をしのぐ大きさで建てられたといわれる駿府城 天守台の発掘調査が4年をかけて行われるというもの。
現在、静岡県庁も建つ城跡は、本丸、二ノ丸部分が公園として整備され、巽櫓、東御門、坤櫓(ひつじさるやぐら)の復元もされ一般に公開されています。
果たしてどんな調査になるのでしょうか?
家康の人生に重要な意味をもつまち 駿府
家康は幼年期、当時東海地方で大勢力を誇った戦国大名 今川義元のもとで人質としての生活を駿府で送りました。まだ家康が「竹千代」という名前の少年だったころです。
二度目は家康が40代後半の壮年期。
豊臣秀吉が天下を射程圏内に入れ始めた天正14(1586)年に、それまでの本拠地であった浜松から駿府へ移ったとされています。
三度目は関ヶ原の戦いのあと、いよいよ江戸幕府を開府した家康が、慶長12(1607)年に江戸から戻り「駿府の大御所」として実権を握りながら幕府の制度づくりをすすめた晩年期です。
輪郭式で石垣を廻らせた三重の堀を持ち、本丸の北西には5層7階の勇壮な天守を配置した城は、当時の家康の権力と気合を感じます。
このように駿府という家康の人生において重要な意味をもつ街は、現在県庁所在地となる静岡市の礎となったのですね。
日本初!「見える発掘調査」には一般の人も参加可能に!
さて、今回のニュースは、家康が居城としていた駿府城の天守台を発掘するというもの。
総面積は天守台跡地と周囲の本丸堀を含む約12,000平方メートルという広大な敷地が対象で、日本初の「天守台発掘調査の見える化」に取り組むというのが大きなポイント。
発掘調査の様子を毎日公開し、発掘現場内の「発掘情報館きゃっしる(城の”キャッスル”と”知る”を合わせた造語)」では、発掘調査の速報展示や江戸時代の瓦などに触れられるスペースも設置するのだそうです。
発掘作業員は、家康愛用の甲冑をイメージしたヘルメットと、葵紋入りのビブス(ベストのようなもの)を発掘調査の際に着用して行っています。
発掘調査って、ともすると地面をほじくるだけとイメージする人もいそうな感じがしますので、このあたりの遊びココロはとても大事ですよね。
現在は9/13(火)から開始する、小中学生(学校・クラス単位)による体験発掘を募集中で、9月から毎月第4土・日には、駿府城の想像CGを映したタブレット端末をもって駿府城公園をガイドと巡る「駿府城タイムトラベルツアー」も開催。
さらにもう一つ大きな目玉は、平成29年度以降に一般観光客の体験発掘も始まるとのこと。
これからの4年間は日々、駿府城公園が多くの人で賑わうことになりそうです。
駿府城の歴史を振り返ると、火事により消失した天守は2度建て替えられたとか。
この発掘調査にチャレンジして、歴史のロマンを存分に感じてみてはいかが?
もしかしたら、あなたが世紀の大発見をしちゃうかもしれませんよ!
「駿府城天守台 発掘調査」 概要
◆期 間: 2016/ 8/ 9(火)~2020年 3 月末まで
◆会 場: 駿府城公園(静岡市葵区駿府城公園 1-1)
◆発掘作業日 :8 月まで 毎週月~金(祝日除く)※雨天中止
9 月から毎週月~金(祝日除く)、毎月第 4 土・日(祝日実施)※雨天中止
※「発掘情報館きゃっしる」は年末年始(12/29~1/3)を除き毎日開館(9:00~16:30)
◆入 場 料: 無料
◆アクセス: JR 静岡駅から徒歩約 15 分
静岡駅前からバスで約 7 分「東御門」下車
参照元:
「駿府城公園」オフィシャルサイト
「静岡市の文化財」オフィシャルサイト
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