【腸の腐った奴と嫌われても】徳川家康に重用された参謀・本多正信

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【腸の腐った奴と嫌われても】徳川家康に重用された参謀・本多正信

「真田丸」では、内野聖陽さん演じる徳川家康と近藤正臣さん演じる本多正信の主従コンビがいい味出していますよね。いつも家康の側にいる正信、一筋縄ではいかない雰囲気ですが・・・彼はいったいどんな人物なのでしょう?
今回はそんな本多正信の人物像と家康との関係をご紹介します。

家康の参謀・本多正信とは

「一度裏切っても参謀として重用された正信」
一度裏切っても参謀として重用された正信

本多正信は家康の鷹匠から出世して、その地位を築きました。
しかし熱心な一向宗信徒だった正信は、永禄6(1563)に起きた三河一向一揆で、家康を裏切り一揆側に参加してしまいます。

一揆が制圧されると、徳川家を出た正信は松永久秀に仕えました。
そこで重用されたようですが、やがて辞去し流浪の旅に出ます。この間に加賀一向一揆にも参加したとも言われています。

そして正信は、やはり家康の元に戻ることを決意したのです。
一度離反した彼が戻るのは難しいことでしたが、家康の側近の大久保忠世の取り成しがあり、本能寺の変の前までに復帰することができたそうです。

それから正信の本領が発揮されました。
彼は武闘派ではなくもっぱら参謀として家康に献策し、後方で差配を行う役目でした。
旧武田の家臣を取り込むことに成功しましたし、秀吉の死後、混乱する豊臣政権をだんだん瓦解させていく謀略を仕込んでいったのです。
江戸幕府では老中を務め、江戸の街づくりにも貢献しました。

「腸の腐った奴」とまで言われるほど嫌われた正信

一度家康を裏切っている正信は、家康の重臣からは嫌われていました。
同族の本多忠勝、本多重次らは「同じ本多一族でもあいつとは無関係!」と言い、榊原康政は「(正信は)腸の腐った奴」と言い放っています。

「見た目ですでに正信とは気が合わない感満点の本多忠勝」
「見た目ですでに正信とは気が合わない感満点の本多忠勝」

彼らのような武闘派には、裏切ったのにもかかわらず、なお家康の側に腹心として控えている正信が気に入らなかったのですね。

一方、正信を重用した松永久秀は、「徳川の侍の多くは武勇のみの輩だが、正信は剛にあらず、柔にあらず、卑にあらず、非常の器である」と彼を評しています。

関ヶ原の後、石田三成の息子・重家はすでに出家し恭順を表明していたため、家康はその処遇に悩んでいました。
そこで正信に相談すると、「赦す理由はあります。三成は関ヶ原などという無用の戦を起こしましたが、そのおかげで国中が殿に従うことになったのですから」と言ってのけたそうです。

ちょっと独特な考え方の持ち主だった正信。そのために嫌われたこともあったかもしれません。
特に実直な武闘派には受けなかったでしょうね・・・。けれどこうでなければ天下人・家康の参謀は務まらなかったのでしょう。

(xiao)

 

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