大坂の陣で活躍した豊臣方の武将は、真田信繁や後藤又兵衛だけではありません。木村重成という若武者をご存じでしょうか。この重成、溜息モノの美男子だったそう。しかも中身も相当イケメンだったというのです。大河ドラマ「真田丸」ではイケメン俳優の白石隼也さんが演じるということで楽しみですが、史実の重成がどんな人物だったのかご紹介しましょう。
秀頼との絆で結ばれた生涯
秀次事件に連座し自害した木村重茲を父に、秀頼の乳母・宮内卿局を母に持つといわれる重成は、秀頼の乳兄弟として幼い頃から小姓となっていたといいます。早くに豊臣姓も与えられており、信頼されていたことがわかりますね。
短い生涯において重成が活躍した場は、彼の初陣でもある大坂の陣でした。
冬の陣では後藤又兵衛と共に今福の戦いで活躍し、徳川方の佐竹義宣を退けています。真田丸の戦いにも参加しました。その後の講和の際には、秀頼の正使となり徳川秀忠の元へ赴き、その立派な姿勢をほめられています。
彼が命を落としたのは、夏の陣での八尾・若江の戦いでした。相手は藤堂高虎と井伊直孝でしたが、重成は見事に藤堂方の陣を突破します。しかし井伊方の攻撃により戦場の露と消えました。わずか22,3歳だったそうです。
重成は戦死しましたが、彼の軍勢が与えた大損害によって、藤堂・井伊軍は天王寺・岡山の戦いでの先鋒は辞退する羽目になったと言われています。彼の勇猛ぶりを伝える話ですね。
家康も感嘆!重成の首実検
首実検の場に運ばれてきた重成の首を見て、家康は目を見張り感嘆したそうです。
重成の兜の緒は固く結ばれ、端が切り落としてありました。二度とこの兜を脱ぐまいという討死の覚悟が表れていたのです。
また、首から何やらいい香りが漂ってきました。それもそのはず、重成の髪には香が焚き込めてあったそうですよ。
「これぞ武士の心構えだ」と、家康は重成の覚悟と風雅をほめたたえました。
この話に至る前、夏の陣が始まる前のことです。
大坂城は落城間近ではないかという噂が立ち始めていました。そして同じ頃、重成の食は徐々に細くなっていったのです。
妻の青柳が心労のせいかと心配すると、重成は首を横に振りこう言いました。
「そうではないのだ。首を取られて、傷口から食物が出てきたら恥であろう。見苦しくないようにしようと食を制限しているのだよ」
淀殿の乳母・大蔵卿局の姪である青柳もまた、美女だったそうです。重成の討死後に妊娠が発覚し、男児を出産すると、重成の一周忌に自害したと伝わっています。
重成のイケメン過ぎるエピソード
重成は、見た目以上に中身もイケメンでした。
戦いで行方不明になった部下を探しに、重成は戦場へ戻りました。部下は見つけたものの瀕死の状態で、敵の攻撃はどんどん激しくなります。部下は自分を捨てて戻ってくれと頼みますが、重成は「私は貴公を迎えに来たのだ。敵が来たから打ち捨てて戻るというなら最初から来たりはしない!」と言い、部下を抱えて連れ帰ったそうです。
また重成は美男子で物腰柔らかでしたが、実戦経験に乏しかったため大坂城内で軽んじられていました。しかし、バカにされることがあっても、彼は受け流していたそうです。
ある時、茶坊主までもがひどく彼を侮辱しました。さすがの重成も刀を抜くかと周りは息を呑みましたが、重成は茶坊主に向かい「本来ならお前を切り捨てるところだが、それでは私も腹を切らねばならない。今は秀頼様のために死ぬ時で、お前ごときのためには死ねぬのだ」と静かに言い、微笑んだのでした。
これ以降、誰も彼を軽く扱う人はいなくなったそうです。
非の打ちどころのないイケメンぶりが際立つ重成。父が秀次事件に連座したのにそこまで豊臣に忠誠を誓えるというのは、なかなかできないと思います。そんなところもイケメンですね。
(xiao)
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