【初詣・年越しそば・儺…】 年末年始の伝統行事の誕生と歴史

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日本ではさまざまな年中行事が行われていますが、特に年末年始は初詣などのイベントが充実しています。
初詣にはどのような意味が込められているのか、年越しそばはいつから食べるようになったのか・・・。毎年行っていても、実は知らないという方も多いのではないでしょうか?
そこで今回は、普段何気なく体験している伝統行事の誕生から現在に至るまで、その歴史をご紹介します。

節分の由来となった大晦日の「儺」

『吉田神社追儺』
都年中行事画帖(1928年)

日本では、かつて「儺(な)」と呼ばれる儀式が大晦日に行われていました。儺というのは、もともと中国の儀式として、疫病を招く鬼を追い払うためのものでした。日本で最初に行われたのは慶雲3(706)年のことだといわれており、初期は「大儺」、後に「追儺」という名前で儀式が催されていました。

儀式の中心にいたのは方相氏という役割の人物です。特殊な仮面などを着用し、鬼神を演じていました。このときの方相氏は鬼を追い払う役割でしたが、9世紀の中頃になると、方相氏は鬼として追い払われる役割に変わっていきます。また、同時に儀式の名前も追儺という名前に改められています。

現代においても年中行事として、追儺の儀式は行われています(国府宮など)。
一方で、この追儺を元に鬼を追い払う節分の行事が誕生したともいわれています。

江戸末期から始まった長寿を願う「年越しそば」


現代では、大晦日に年越しそばを食べるために、多くの方々がおそば屋さんに足を運びますよね。
麺料理としてのそばは、江戸時代に入ってから誕生しています。この年越しそばを食べるという文化は、江戸時代の末期以降から始まったとされています。そばは、細く長いことから長寿を祈願するなど縁起の良い食べ物だといわれています。

また、現代の日本に定着した年越しそばの文化が、全国に普及するまでにはかなりの時間がかかっています。昭和の高度経済成長がきっかけとして、そばなどの必要な食材が簡単に手に入るようになったことが一つの理由だといいます。

現代では一からそばを調理するのではなく、手軽に済ませられるカップ麺などを利用される方も多いでしょう。しかしながら、年越しそばの持つ意味は、江戸時代から変わらないといえるのではないでしょうか。

鉄道網の発展とともに誕生した「初詣」


江戸時代の正月には、縁起というものを大切にして寺社へ参詣する恵方詣などがありました。
例えば、参詣する際に初縁日など縁起の良い日を選んだり、自宅から恵方にある寺社へ参詣したり・・・。氏神を祀る神社などへ徒歩で詣でることが一般的であり、現代でいう初詣は江戸時代にはまだ誕生していません。

明治時代に入ると、歩いて行ける都市部の寺社よりも、郊外の寺社が正月の参詣先として選ばれるようになりました。明治20年代に神奈川県にある川崎大師で初詣の文化が根付き、明治30年代になると、鉄道を利用した初詣の参詣者が増えていったのです。江戸時代に比べ、縁起などを気にせずに参詣していたようで、現代の初詣の原型はこの頃にできたと考えられています。

明治時代に初詣の参詣者が増加した理由については、鉄道会社の宣伝による影響に加えて、行楽を兼ねるようになったことなども関係していると言われています。どこの寺社へ参ろうかと決めるのも、一つの楽しみですよね。

歴史を知ることにより、伝統行事が持つ本来の意味を見つめ直すことができます。
この年末年始、ぜひ思い出してみてくださいね。

(オオハシケント)

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