1月20日は、祇園の芸妓だったお雪が、アメリカの大富豪ジョージ・モルガン(金融王J・Pモルガンの甥)と結婚した日。
これにちなんで「玉の輿の日」とも言われています。何とも心がくすぐられますね。
「日本のシンデレラ」とも呼ばれたモルガンお雪とはどんな人物なのか?金融王に見初められた経緯と合わせてご紹介します。
格下芸妓として不遇な日々を送った10代
モルガンお雪こと加藤雪は、明治14(1881)年に生まれました。家は士族の家系、刀鍛冶、刀剣商だったと言われていますが、詳しいことはわかっていないようです。
姉が祇園でお茶屋兼置屋を経営していた縁で、14歳で芸妓となりました。勤め先は、外国人専用の店だった「小野亭」です。
当時は、外国人専用のお店は格下として扱われていました。お雪は不遇な生活をしていたと言えそうですが、このためにシンデレラロードを歩むことになります。
アメリカ人大富豪の熱烈な求愛はニュースになる!?
明治34(1901)年、アメリカの富豪ジョージ・モルガンが日本を訪れます。この時ジョージは失恋したばかり。そんな時に出会ったお雪に惚れ込み、すぐにプロポーズをします。ジョージは30歳、お雪は20歳でした。
この時お雪はジョージと同い年の恋人がいて、ジョージの求婚には首を縦に振りませんでした。それでもジョージは諦めず、4年間で3度も来日して食い下がります。
ジョージの熱烈な求愛はやがて世間にも知られ、新聞で大々的に報じられます。もちろんお雪と恋人の関係も取り沙汰されてしまい、ふたりは破局を迎えてしまいます。
規格外の大金を用意され結婚するしかない状況に
恋人と別れてもお雪は、ジョージになびくつもりはなかったようです。「日本映画界の父」として知られる牧野省三(俳優・津川雅彦の祖父)にお雪は相談しますが、「莫大な身請け金を吹っ掛ければいい」と言われます。そこでお雪は言われた通りジョージに4万円を要求します。当時4万円あれば京都の南座を買えたといわれる途方もない金額です。しかしさすがに相手はアメリカの大財閥。あっさりとお金を用意し、お雪はそのまま身請けされます。
明治37(1904)年、日露戦争が始まる年の1月20日に、ジョージとお雪は結婚します。場所は横浜の領事館。この結婚はもちろん欧米にも注目され、お雪は「日本のシンデレラ」と呼ばれます。
シンデレラストーリーにはない結婚後に続く不幸
格下の芸妓からアメリカの大財閥の妻となったモルガンお雪。ですがモルガン一族の理解は薄く、アメリカも移民制限中でなかなか帰化できませんでした。モルガンとの一時帰国の際には、世間やマスコミの好奇の目はやまず、「金に目がくらんだ女」と囃し立てられました。
さらに結婚して11年後にジョージは心臓麻痺で急死。アメリカ国籍の剥奪、遺産相続の裁判で争い……と、平穏とは程遠い日々が始まりました。その後、マルセイユで同棲を始めた新恋人にも先立たれてしまいます。
第二次世界大戦が勃発を前に日本へ帰国すると、モルガン家からの送金が途絶えます。国籍がないことで財産の差し押さえにもなってしまいました。
戦後はキリシタンの洗礼を受け、静かな余生を過ごしたそうです。
「玉の輿」と言えば幸せな結婚。お雪のようにつかの間のシンデレラではなく、できればずっとシンデレラでいたいですよね?現実は「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」・・・というように甘くないのかもしれません。
(xiao)
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