その神秘性から何度も作品化されており、初回のテレビ放送はなんと昭和43(1968)年という大奥。その後テレビや映画、舞台まで今回のものも含め全部で十作品近くが物語化された大人気作品。
その大奥、実際にはどんな場所だったのか。
すでに一夫一妻制が通念とされている現代の日本ですが、将軍をはじめ江戸時代の上流武士階級では、跡継ぎをつくるという目的で「側室」という、言うなれば二番手、三番手の奥様をもつことが許されていました。
「大奥」は、その武士の頂点である将軍の世継ぎをつくるという目的で集められた女性(側室)たちが住まう、江戸城内の奥座敷のことを指したのです。
この大奥を制度化したのは、三代将軍家光の乳母だった春日局ですが、春日局はじめ、この大奥の女性の中には政治にも口を出す権力をもち、幕府の政策にも大いに影響を及ぼす人がいたようです。ここから「お局さま」という言葉ができたのでしょう(怖い・・・)
ところで江戸幕府を興した徳川家康公は、それこそ凄い人だったようで、17人以上もの側室がいたそうです(うらやましいを通り越してアングリ・・)。
その側室達は世継ぎを生めば、次の将軍のお母さんになれるかもしれず、将軍の取り合いだったことは間違いなく、だからこそ「女の愛憎劇」みたいなドラマを想像しやすいのでしょう(やっぱり怖い・・・)。
そんな大奥に、節分の日にまつわるエピソードがあるのをご存知でしょうか?
この役割だけは勘弁してほしい・・・節分の日の大奥で何が起こったのか?
男子禁制だった大奥ですが、節分の日だけは男性が入り、豆まきをするしきたりがあったそうです。
豆まき役を務めるのは50歳以上でエリートといわれる「留守居役」。
今と違ってひたすら無言で豆をまき、終わると、ご挨拶をし、そそくさと部屋を出るというしきたりなのですが、ここで女中達は帰ろうとする留守居役を取り囲み、薄い布団で包み歌を歌いながら胴上げをしたというのです。
エリート官僚で、かつ幕府の要職である留守居役の武士のおじさんを、簀巻きにして胴上げすることで憂さ晴らし。
気に入らない留守居役の場合は、さんざんみんなでどついたり、イケメンの場合は盛んになでたりいじくりまわしたり。
ヘタに怒って女性たちの機嫌を損ねると将軍に告げ口されちゃうかもしれない留守居役にしてみれば、ただ耐えるしかなかったそうです。(「M男」くんなら最高か?私はやっぱり怖い・・・)
ハーレムだから羨ましいとかちょっとでもいいな、と思ったそこのあなた!
将軍は将軍で、家臣は家臣で大変だったのですよ!
これから毎年「夫婦の日」と「節分&大奥の日」をセットで覚え、奥様や彼女を大事にすることに務めたほうが、平和が保たれると私は思いますです。ハイ・・・
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