9月16日(土)〜11月5日(日)まで、徳川美術館(愛知県名古屋市)にて秋季特別展「天璋院篤姫と皇女和宮」が開催。二人のゆかりの品々とともに、生活の場となった幕末の大奥での生活や人間模様に光を当て、波乱の生涯を振り返る貴重な展覧会です。
激動の幕末、江戸幕府の権威が失墜していくなか、それぞれ政治的な使命を帯び、徳川将軍家に御台所として嫁いだ天璋院篤姫(1835~1883)と皇女和宮(1846〜1877)。同じ御台所といえども、その生まれや育ちは対照的な二人は、最初こそ対立しましたが、やがて訪れる幕府崩壊の危機に面し、徳川家の家名存続に尽力し、江戸無血開城を成し遂げ、その難局を乗り越えます。今回はそんな二人の波乱の人生を振り返りつつ、展覧会の見所を紹介します。
「徳川の女」として生きた天璋院篤姫
薩摩藩の名君・島津斉彬の娘(養女)である篤姫。落飾後の戒名・天璋院としても知られ、その波乱の人生は、NHK大河ドラマ「篤姫」や小説でも語られています。
篤姫が21歳のとき、将軍継嗣問題で一橋慶喜擁立のため、第13代将軍・徳川家定の正室となるよう大奥に送り込まれます。しかし、家定が慶喜を極度に嫌っていたことなどにより、慶喜擁立はかなわず、結果的にこの政略結婚は失敗に終わりました。
しかも結婚後、家定はわずか2年で死去。23歳で寡婦となった篤姫に、薩摩からは戻るように言われますが、彼女はあくまで「徳川の女」として生きることを選択。戊辰戦争では西郷隆盛に徳川の家名存続を求める書状を送るなど、幕末という激動の時代に生きた証を残すのです。
展覧会では天璋院篤姫所用の小袖が展示されます。繻子地に豪華な刺繍、金糸の葵の紋に、徳川家を支えた風格を感じます。
「公武合体」の象徴とされた皇女和宮
一方の和宮は、井伊直弼の独裁政治により、冷えきった幕府と朝廷の関係の修復のため、第14代将軍・家茂との婚儀が進められます。和宮は10年以上も前に有栖川宮熾仁親王と婚約をしていたのですが、「公武合体」を見据えた政略が優先されてしまったのです。
征夷大将軍の夫の家茂より、和宮の方が身分が上のため、婚儀の際も家茂から和宮に挨拶をするという前代未聞の現象が起きました。また和宮が大奥でも京都御所風の生活を続けようとしたため、天璋院ら大奥と対立したと言われます。
家茂が京の二条城に向かった際は、増上寺の黒本尊の御礼を勧請し、天璋院とともに御百度を踏み、無事を祈るなど、次第に支え合う存在になっていくのです。
展覧会で和宮が所用したと伝わる打掛も展示されます。純潔さの中に華やかさもある、和宮らしいデザインです。
ともにお墓は将軍のそばに
天璋院篤姫と同様、和宮の結婚生活も長くは続きませんでした。第2次長州征伐に向かう家茂の出陣を見送ったのが最後、家茂は大坂城で死去。わずか4年の結婚生活でした。
江戸城開城となると、和宮は家茂の聖母である実成院とともに田安屋敷に移ります。一旦、京に戻りますが、5年後の明治天皇の東京行幸の際に東京に入り、そのまま暮らすこととなります。
その後、勝海舟の家で、互いに相手のご飯をよそって食事するなど、天璋院と和宮は理想の間柄になりますが、数年後、和宮は病気療養のため滞在していた箱根で亡くなります。のちに天璋院が旅行した際、和宮が最後に過ごした旅館を見て、涙したと言われます。
徳川将軍の墓で、夫婦二人の墓が横に並ぶのは天璋院と和宮の2組だけ。故郷よりも将軍家を選んだ、二人の女性の気概が感じられるようです。
初公開!お祝いの袱紗と化粧道具
今回の展覧会で初公開されるのは天璋院所用の「紅縮緬地竹に鶏模様掛袱紗」です。掛袱紗は婚礼や長寿を祝う儀にて、祝いの品を贈る際にその上に覆うものです。鮮やかな赤に生える美しい刺繍に目を奪われます。
また、和宮が姫としての美しさを保つ為に大切にしていたという超貴重な化粧道具も初公開。美しさもさることながら、施された徳川の家紋に、彼女の決意が伺えます。
そのほか、天璋院の地元の名産である「藍色栓付酒瓶 薩摩切子」や、べっ甲が美しい和宮所用の「鼈甲製桜兎簪」など、品々が勢揃いです。
島津一門に生まれ近衛家養女として十三代将軍家定に嫁いだ篤姫。公武一和をはかるため天皇家から十四代将軍家茂に降嫁した和宮。生まれや育ちは対照的でも、ともに自らの意志で行動し、徳川家を守り抜いた二人の思いに触れられる貴重な機会にぜひ、出かけてみてください。
秋季特別展「天璋院篤姫と皇女和宮」
開催日:2017年9月16日 (土) ~11月5日 (日)
開館時間:午前10時~午後5時
※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日 ※ただし、9月18日(月・祝)、10月9日(月・祝)は開館、9月19日(火)、10月10日(火)は休館
開催場所:徳川美術館公式HP:徳川美術館
http://www.tokugawa-art-museum.jp/
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