1月31日は愛妻の日。歴史上には多くの愛妻家がいますが、皆さんは誰を最初に思い浮かべますか?さて、大河ドラマ「西郷どん」こと西郷隆盛はどうでしょう。生涯に3人もの妻を娶った彼ですが、それぞれ事情があったようです。今回は西郷の3人の妻について見ていきたいと思います。
最初の妻・須賀
「西郷どん」では橋本愛さんが演じる須賀。彼女が西郷の最初の妻になります。
結婚のきっかけは、西郷の一目惚れと猛アタックによるもの、もしくは親のすすめともいわれています。須賀は島津家支流の豪族・伊集院家の娘で、下級藩士である西郷とはいわゆる「格差婚」でした。
しかし、結婚して2年後、西郷は島津斉彬に従って江戸に行ってしまいます。西郷の祖父母と父母も相次いで亡くなり、須賀はひとりで西郷家の家計を支えねばならず、とても貧しい暮らしを強いられたそうです。ついに、実家の伊集院家がそれを見かねて引き取り、そのまま離縁となったのでした。なんだか気の毒ですよね…。
奄美の島妻(あんご)・愛加那
斉彬の没後、西郷は彼の意志を継いで幕政改革すべく、大老・井伊直弼排斥のために挙兵まで計画します。しかし井伊による安政の大獄が起こり、西郷も標的となってしまいました。進退窮まった西郷は月照と入水しますが、西郷だけが助かります。そして薩摩藩は安政5年(1858)、幕府から西郷を隠すためとして、彼を奄美大島に送ることにしたのでした。
奄美大島で西郷は孤独感に苛まれ、木刀を振り回すなどして「大和のフリムン(狂人)」と噂されます。しかし島の名士の娘・愛加那を島妻として娶ると、その生活は途端に穏やかになりました。ただ、島妻は薩摩藩に連れて行くことができないため、西郷が奄美を離れる際は、愛加那と子供とは別れなくてはならなかったのです。
西郷が愛加那と結婚したのは安政6年(1859)、薩摩藩主・島津久光から薩摩に戻るよう召喚状が届いたのが文久元年(1861)。こちらも約2年という短い結婚生活でしたが、愛加那は西郷にとって孤独を癒してくれた心の支えだったようです。人前で彼女を膝に乗せるなど、終始ラブラブだったとか。愛加那も西郷を愛し、彼が徳之島(のち沖永良部島)に流される際には子供を連れて会いに行ったほどでした。
西郷は薩摩に戻ってからも愛加那には送金を続けました。また、愛加那は櫛に残った西郷の髪を大事に取っておき、彼を偲んだそうです。この髪のおかげで、西郷の血液型がB型だということが判明したわけです。
最後の妻・糸子
西郷の3番目の妻・糸子は再婚で西郷と結婚しました。西郷37歳の時です。
今回もまた西郷は、結婚後すぐに京都などへ行ってしまったため、糸子が留守を預かりました。良妻ぶりを発揮し、西郷の兄弟やその配偶者、引き取った愛加那の子らや、西郷に学ぶため滞在していた旧庄内藩士70人ほどの面倒をみていたようです。心、広すぎますね…!
湯治を兼ねておりょうと新婚旅行にやってきた坂本龍馬も、西郷家に立ち寄りましたが、彼は姉・乙女宛ての手紙の中で、糸子のことを「大いによい人」「この方に妻(おりょう)など頼めば何も気づかいない」とほめちぎっています。
糸子といえば、西郷の死後、上野公園の銅像の除幕式での逸話が有名です。西郷の銅像を見るなり、「うちの人はこんな人じゃなかった」といったため、あの銅像の顔は西郷には似ていない、という説が持ち上がったわけです。
最初の妻・須賀は可哀想なことをしましたが、後の2人の妻は、西郷にとっては良き妻だったようですね。つねに留守がちではあったものの、西郷もまた、彼女たちにとっては良き夫だったようです。やはり、男にも女にもモテたという西郷、どこか尽くしたくなるような魅力があったのではないかと思います。こればかりは、生まれもってのものだったのでしょうね。
(xiao)
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