【江戸時代の身分制度とは?】教科書に載らなくなった士農工商

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【江戸時代の身分制度とは?】教科書に載らなくなった士農工商

江戸時代が身分の違いによる格差社会であったことはよく知られています。一定の年齢以上の方は、江戸時代には「士農工商」という身分制度があり、士(武士)、農(百姓)、工(職人)、商(商人)の順で身分が差別されていたと学校の授業で習ったのではないでしょうか。しかし、近年の研究によって、現在は「士農工商」という身分制度はなかったとされており、教科書にも載っていません。とはいえ、江戸の世は身分の格差が色濃く反映された時代でした。今回は、そんな江戸時代の身分制度について詳しくご紹介していきます。

「士農工商」ではなかった江戸時代の身分制度

歴史を勉強する子ども

多くの方が学校の授業で習った「士農工商」。教科書出版大手の東京書籍が発行する教科書では、すでに平成12年度からその記述は削除されていたのだそうです。なぜ「士農工商」は教科書からなくなってしまったのでしょうか。

「士農工商」は身分制度をあらわす言葉ではなかった

「士農工商」という言葉は、実は中国で古くから使われていたもので、日本で作られた言葉ではありません。漢書に「士農工商、四民に業あり」とあるように、本来は広くあらゆる職業の人々を指す言葉で、「民衆」「みんな」といった意味で使われていたようです。かつてはこの言葉が江戸時代の身分制度と上下関係を表す用語と考えられていましたが、近年の研究成果により、江戸時代には単純に「士農工商」という言葉で身分を分類していなかったということがわかりました。江戸時代の基本的な身分としては、「武士、百姓・町人等、えた・ひにん等」が存在し、その他の身分として天皇や公家、神主や僧侶などがいたというのが実態です。

「士-農-工-商-えた・ひにん」という上下関係は誤りだった

江戸時代の身分による上下関係を「士-農-工-商-えた・ひにん」という言葉で教わった方も多いと思いますが、この認識も適切ではありませんでした。武士が支配層として上位であることは間違いありませんが、他の身分については上下関係や支配・被支配といった関係はなく、対等なものだったのです。また、えた・ひにんと呼ばれていた人たちも「武士-百姓・町人等」の社会から排除された「外」の民として存在させられ、ほかの身分の下位ではなく、武士の支配下にありました。

こうした理由から、「士農工商」という言葉は教科書から削除されたのです。

こんなにあった身分の違い

「士農工商」ではなかったとはいえ、江戸時代には様々な身分と格差がありました。ここからは江戸時代に存在した身分についてご紹介していきます。

武士は少数の特権階級

庭を泳ぐ鯉
上級武士は、驚くほど豪奢な暮らしをしていた人もいました。

身分制度の中で、一番上にいたのは武士です。特権階級だった武士は、苗字を名乗ること、帯刀することが認められており、幕府や藩からもらう扶持(ふち)を主な収入源として生活していました。しかし、武士といっても大名から下級武士まで、身分には大きな開きがありました。下級武士になると、安い給料しか得られないため副業に励む者も多く、一般の町人と同レベルの生活水準だった者もいたようです。一方、上級武士の場合、漆塗りの蓋をしてあるような、畳敷きの広い厠(トイレ)付きの豪華な家に住む者もいました。

最も多かった百姓

田植えをする百姓
年貢を納める百姓はときに一揆を起こすなど、生活が厳しいことが多かったようです。

江戸時代、人口の約8割は百姓だったとされています。百姓というと農業を営む人々をイメージしてしまいますが、漁業や林業に従事する人々も百姓に含まれていました。村には村役人という百姓の代表者が置かれ、名主(なぬし:関西では庄屋)、組頭(くみがしら)、百姓代(ひゃくしょうだい)の3つの役で構成していました。また、自治的役割と租税の安定のために、五人組(または十人組)の制度をつくり、5戸(10戸)を1組として連帯責任を負わせました。

意外と少なかった町人

帯とかんざし
かんざしや帯などを作る職人たちの多くは、町人でした。

村に住む人たちを百姓と呼ぶのに対し、町に住む人々は町人と呼ばれました。職人や商人を合わせた町人層は全体の5%ほどで、百姓との間には身分の序列はなかったようです。同じ町人の中でも格差は存在し、家屋敷を所有して店を構える「家持」や、家屋敷を所有して人に貸し出す「地主」のような富裕町人は町政や公事にも参加していました。江戸時代も半ばになると、紀伊国屋文左衛門など富豪の商人が現れ始めます。反対に、財政的に困窮する大名や武士たちが、商人にお金を工面してもらうことも起こるようになったようです。成功し富豪となった商人の中には、「扶持米」(ふちまい)を大名から得られるようになったり、武士の身分を与えられたりした者もいました。

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公家や僧侶、医者などの特別な人たち

僧侶たちの足
支配階級にあった僧侶たちは、公家に次ぐ地位でした。

公家、僧侶、医者などの身分の人たちは、上級の武士にしか認められない権利を持っており、いわゆる支配階級として厚遇を受けていました。この中で一番身分が高いのは公家で、僧侶、医者と続きます。江戸時代は世襲制だったため、職業を選択する自由のない時代でしたが、知識さえあれば医者になることができました。優秀ならば藩や大名などに直接雇われることもあったのです。落語の「代脈」などを聞くと、上級武士と同じように、医者は籠(かご)に乗ることも認められていたことがわかります。

ひどい差別を受けた人たちがいた

「えた」「ひにん」などと呼ばれた人々は、武士はもちろん百姓、町人からも一線を画されていました。彼らは「同じ人間ではない」といった見方をされ、社会から排除されていたのです。百姓、町人の平人が武士になることは滅多にないように、平人が「えた」「ひにん」になることも滅多にありませんでした。

身分違いは大変なことだった

1990年代になると、江戸時代の身分制度「士農工商」はなかったことが明らかとなり、2000年代には「士農工商」の記述は教科書から外されるようになりました。それでも江戸時代は、身分制度の世の中であったことには変わりません。職業選択の自由はなく世襲が原則。中には人として扱われないような人々が存在する差別的社会でした。現代では、職業選択の自由により、生まれながらに職業などを制約されることはありません。江戸時代の社会には、今の時代では考えられないような身分による差別がたくさんあったのです。

 

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