歴史の授業で「遣唐使」という言葉を聞いたことはありますよね。遣唐使とは、昔の日本が当時アジアの中心的国家だった中国の唐に派遣していた使節のことです。三国志の時代には日本の大王が古代中国に使者を送っていたことも分かっており、古くから日本は大陸と関わり合いながら発展してきました。その関わり合いの中で、重要なものに挙げられるのが日宋貿易です。日宋貿易とは日本が遣唐使派遣を取りやめた後も続いていた中国の宋との貿易のことで、かの有名な平清盛が関わっていました。今回は日宋貿易の概要と繁栄の様子、この貿易が日本にもたらした影響についてご紹介します。
遣唐使廃止後も続いていた貿易
武士の棟梁だった平清盛らが活躍した平安時代にも、日本と他の国との貿易が行われていました。遣唐使が廃止されたあとも続いていた平安時代の貿易とは、どのようなものだったのでしょうか。
平安時代の貿易とは?
平安時代には古くから貿易を司っていた大宰府の力が衰え、日宋間では外交貿易は行われていませんでした。その代わりに盛んになったのが、博多などの日本の都市に在住する中国人と日本人の間で行われた貿易だったのです。これは私貿易と呼ばれています。そのころ宋側では中国全体を支配していた北宋が北方民族の金によって南方に追われ、南宋が建国されていました。中国南部に多くの宋人が移動し、南方で建設ラッシュが巻き起こり木材の需要が高まったため、日本産の木材などが取引されたのでした。
平忠盛が行った日宋貿易
平家物語で有名な清盛の父、平忠盛は越前守でしたが、貿易が利益をもたらすものであることに目をつけます。国内産業が充実していない時代において、貿易から得られる莫大な収入はとても魅力的で、資金力を必要とした当時の武士にも重要だったのです。日宋貿易に手を出した忠盛は中国由来のさまざまな珍しい品を手に入れ、富を手に入れるとともに朝廷に取り入ることができました。
平清盛と日宋貿易の繁栄
忠盛の息子、清盛は平家の棟梁として知られた有名な武士でした。清盛は後白河天皇(後の後白河法皇)に味方し、「保元の乱」を勝利に導いてから力をつけ始めます。彼は軍事に優れていただけでなく、経済感覚にも秀でており、父親が手をつけた日宋貿易をさらに発展させました。清盛と日宋貿易について見ていきましょう。
博多港と瀬戸内海を掌握した
平家一族の支配力を強めたい清盛は政敵を倒したり、娘を天皇家に嫁がせるなど、さまざまな取り組みを行っていました。その中でも清盛が魅力的に思っていたのが莫大な利益をもたらす貿易でした。特に当時の世界的大国だった宋との貿易に力を入れたい清盛は航路の整備にも着手します。当時から多くの宋海商が行き来し、外国風の建物が並んだ博多に人工の港を築きました。また瀬戸内海を掌握し、航路を整備した清盛は勢力基盤の伊勢で産出する銀をどんどん輸出します。
清盛による貿易のビジョン
清盛はさらに日宋貿易を盛んにするために、奈良時代から瀬戸内海の重要な航海拠点だった兵庫県の瀬戸内海側に注目し、現在の神戸市のあたりを支配下に置きました。彼は便宜のいい港を自分の勢力圏に築くことで外国船を集められ、貿易からの利益を独占できると考えていたのです。古くから多くの港があったこの地域ですが、そこに先進的な港を整備することが貿易の活性化に重要と考えた清盛は、12世紀後半に現在の神戸市に大輪田泊(おおわだのとまり)という港を整備します。大輪田泊の工事は困難を極めましたが、完成後は多くの宋船が停泊し、日宋貿易の中心地となりました。清盛の狙いは見事に的中したのです。
日宋貿易による影響について
このように日宋貿易は盛んになっていき、当時の先進地域だった大国・宋との貿易は平安時代の日本に大きな影響を与えました。日宋貿易が日本にもたらしたインパクトについて見ていきましょう。
宋銭がもたらしたもの
日宋貿易が日本にもたらしたものの中でも影響が大きかったのが宋銭でした。清盛は日宋貿易の際、宋の通貨である宋銭をどんどん日本に持ち込みます。それまで貨幣制度があまり整備されていなかった日本において、宋銭は瞬くうちに使われるようになり、貨幣経済が発達し始めました。しかし、それまで絹を基準にしていた日本の経済制度は大きく混乱し、物価が乱れるなどの弊害もあったのです。その結果、平家一族に対して世の不満が蓄積しました。
鎌倉仏教にも影響した
日宋貿易の影響は平安時代だけでなく、鎌倉幕府が興ったあとの鎌倉時代にも及びます。仏教は日本に古くから伝わっていましたが、宋との貿易をきっかけに仏教経典が日本に多く伝わり、鎌倉時代を境目に日本の仏教は大きく変容したのです。その結果、浄土宗・浄土真宗・時宗・法華宗・臨済宗・曹洞宗という6つの新宗派が開かれます。こうして新しい仏教の考え方を取り込んだ日本仏教は、鎌倉仏教として新たな変容を起こしたのでした。
貿易の重要性に着目した平家
平家では清盛の父、忠盛の時代から貿易の重要性に着目していました。中でも、優れた武人であっただけでなく、航路や港を整備し、貿易の活性化に本格的に着手した清盛の功績は偉大なものでした。日宋貿易から得られた利益は彼の権勢、経済力を支えるだけでなく、当時の日本の文化にも大きな影響を与えたのです。貿易に力を入れ、海からもたらされる富で日本を変えた清盛。日宋貿易に力を入れた清盛の発想は、その後の日本の貨幣経済を大きく発展させました。
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