【シェイクスピア】イギリス演劇界を席巻した劇作家の人生と代表作

世界史
【シェイクスピア】イギリス演劇界を席巻した劇作家の人生と代表作

ウィリアム・シェイクスピアは、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物です。優れた英文学作家として知られる彼は、その生涯に膨大な作品を遺しました。有名な作品が多いので、一度は聞いたことがあるという人も多いでしょう。

彼の傑作の数々は、現在でも多くのファンを魅了し続けています。

今回は、シェイクスピアのうまれから結婚まで、演劇界での活躍、晩年とその後、代表作などについてご紹介します。

うまれから結婚まで

世界的な劇作家となったシェイクスピア。彼はどのような幼少期を過ごしたのでしょうか?

裕福な家庭でうまれる

シェイクスピアの生家。現在は観光地となっています。

1564年、シェイクスピアはイングランド王国のストラトフォード=アポン=エイヴォンで誕生しました。父は皮手袋商人として成功した末に町長にまで選ばれた町会議員で、母はジェントルマン(地主貴族中心の名望家、実質的な支配階級)の出身だったため、非常に裕福な家庭環境だったと考えられるでしょう。

シェイクスピアは、ストラトフォードの中心にあるグラマー・スクール「エドワード6世校」に通ったといわれています。ただし、父が没落したため、それ以上の教育を受けたかどうかについては諸説あるようです。

結婚して子宝にも恵まれるが…

1582年11月、18歳のシェイクスピアは26歳のアン・ハサウェイと結婚します。アンは既に身ごもっており、翌年長女が誕生。その2年後には長男・次女の双子にも恵まれましたが、長男は亡くなってしまいました。

その後、シェイクスピアはストラトフォードからロンドンへと移動。やがてロンドン劇壇に名をあらわすようになりますが、この数年間の記録はほとんど現存していません。そのため、「失われた年月」といわれています。

演劇界への台頭と活躍

ロンドンに拠点を移したシェイクスピアは、演劇界で頭角を現していきます。そして、やがて不動の地位を築くことになるのです。

俳優業と脚本家を兼ねる

ヴァーツラフ・ホラーが描いた、ロンドンのグローブ座です。

この当時、ヨーロッパでは近代化が進んでおり、エリザベス朝演劇の発展に伴い多くの劇団や劇場が設立されました。そんな中、ロンドンに進出したシェイクスピアは俳優活動のかたわら脚本も書くようになります。1592年には劇作家ロバート・グリーンがシェイクスピアを成り上がり者だと批判していることから、この頃には既に人気と名声を得ていたと考えられます。また、1594年ごろには宮内大臣一座(国王一座)の共同所有者になり、本拠地・劇場グローブ座の共同株主にもなりました。

ジェントルマンの地位を求め紋章を獲得

演劇界で名声を得たシェイクスピアは、ジェントルマンの地位獲得にも成功します。父は裕福だったころに紋章の取得を申請していましたが、一家の財政が傾きその望みは叶っていませんでした。また、当時の俳優はいかがわしい職業とされていたため、シェイクスピアには紋章を得る資格がなかったのです。しかし、紋章は貴族の権威や名誉を誇示するシンボルで、ジェントルマンになるための条件の一つでもありました。

1596年、再度申請をしたシェイクスピア家はついに紋章を手に入れます。これはシェイクスピアが社会的成功を収めたことが理由でした。

人気と地位を確立した

シェイクスピアはその後も、戯曲を執筆したり劇団の経営に関与したりしながら俳優業も継続しました。この頃には、それまで匿名だった著者名にシェイクスピアの名が記されるようになったといいます。1599年にはテムズ川を渡ったサザークへと転居。残された公文書によれば、シェイクスピアはロンドン在住中に大きな経済的成功を収め、ロンドン中心部の不動産を購入するほどだったそうです。

晩年とその後

大きな成功を手に入れたシェイクスピア。そんな彼の晩年はどのようなものだったのでしょうか?

故郷に戻ったシェイクスピア

1613年、シェイクスピアは故郷のストラトフォードに戻り引退したとみられています。晩年のシェイクスピアは次女ジュディスに関わる醜聞に見舞われました。それは、ジュディスの婚約者が婚前交渉の嫌疑で告発されるという事件だったそうです。人生最後の数週間にそのような出来事に頭を悩ませたシェイクスピアは、1616年4月23日、52歳で逝去。死因は感染症といわれていますが、その詳細は不明です。

教会の内陣に埋葬され眠る

この世を去ったシェイクスピアは、ホーリー・トリニティ教会の内陣に埋葬されるという栄誉を得ました。これはシェイクスピアの名声のためではなく、教会への高額納税者だったことが理由だったといいます。その墓の中には未発表作品が副葬品として眠っているという伝説がありますが、これを見た者は誰もいないということです。

シェイクスピアの代表作

シェイクスピアの作品にはどのようなものがあるのでしょうか?ジャンルごとの代表作をご紹介します。

『リチャード三世』(歴史劇)

『新訳 リチャード三世』

初期の代表的な歴史劇。主人公であり悪役でもあるリチャードが魅力的な作品です。

舞台は薔薇戦争中の15世紀イングランド。陰謀渦巻くイギリス王朝の中で、リチャード3世が策略で王に成り上がっていく物語です。エドワード王の座を狙うリチャードは、兄弟とエドワード王が憎しみあうよう画策し、自分に従わない人間を処刑して王座を手にいれます。しかし、その栄光は長く続かず、やがて戦いで討たれてしまいます。

『ロミオとジュリエット』(ロマンス悲劇)

『新訳 ロミオとジュリエット』

「おお、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの?」の名言が有名。悲劇ながらユーモア溢れる作品です。

舞台は14世紀のイタリア・ヴェローナ。モンタギュー家の一人息子・ロミオと、キャピュレット家の一人娘・ジュリエットが恋に落ちますが、両家は代々対立しており、二人はやがて裂かれることに。ジュリエットはロミオと添い遂げるため仮死の毒を使った計略を実行しますが、それを本当の死だと勘違いしたロミオは毒薬を飲んで自殺します。その直後に目覚めたジュリエットは、ロミオの死を悲しみ彼の剣で命を絶つのでした。

『ロミオとジュリエット』の舞台となった、イタリアのヴェローナです。

『夏の夜の夢』(喜劇)

『新訳 夏の夜の夢』

長年愛されている喜劇作品で、妖精の惚れ薬による男女4人の恋愛模様が描かれています。

ハーミアは親の決めた相手ディミートリアスとの結婚を拒否し、愛するライサンダーとの駆け落ちを画策します。ところが、それを相談したヘレナはディミートリアスに恋しており、彼とのキッカケを掴むために計画を暴露。そんな中、妖精の惚れ薬によりライサンダーとディミートリアスはともにヘレナを好きになり、ヘレナとハーミアは険悪な関係に陥ります。ハラハラの展開ですが、最後には愛する人が結ばれるハッピーエンドです。

『ハムレット』(悲劇)

『新訳 ハムレット』

四大悲劇(『ハムレット』『オセロー』『リア王』『マクベス』)の一つで、シェイクスピアの戯曲で最も長い作品です。

王子ハムレットは、父のデンマーク王が急死し、その弟クローディアスが王妃と結婚し王座を継承したことを憂慮していました。そんな中、父の亡霊と会い、父がクローディアスに毒殺されたことを知ります。

復讐を誓ったハムレットは、狂気を装い行動を起こしました。さまざまな犠牲を払い復讐を遂げたハムレットですが、愛するオフィーリアや母を失い、最後には自分も死を選びます。

ヘルシンゲル駅前にある、ハムレット像とオフィーリア像です。

世界中で愛され続ける劇作家

俳優・脚本家として演劇界でその名を轟かせたシェイクスピア。その作風は時代によって徐々に変化し、多くの人々の心をとらえました。裕福な暮らしからの没落、他人からの嫉妬といったさまざまな人生経験が、彼の戯曲には豊かに反映されているのかもしれません。シェイクスピアの作品は、映画・演劇・舞台などの題目として現在でも愛され続けています。

 

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