【泉秀樹の歴史を歩く】新選組血風録

エンターテインメント

歴史作家・泉秀樹が歴史の現場を探訪取材し、独自の視線で人と事件を解析して真実に迫る「泉秀樹の歴史を歩く」(J:COMテレビで好評放送中)。

今回のテーマは、新選組

今まさに倒れようとしている徳川幕府のために新選組は白刃をふるった。それが武士の道だからだ。命の限り戦った男たちの血しぶきが風に散り青空に赤く舞う。

第1章

近藤とウマが合ったのか、土方も広さ二十四畳ほどしかない小さな試衛館(しえいかん)に入門した。安政六年(一八五九)土方二十五歳であった。
そして、この道場で沖田総司(おきたそうじ)、永倉新八(ながくらしんぱち)、原田左之助(はらださのすけ)、山南敬助(やまなみけいすけ)らと親しくなり、武士を目指して剣の修行に励んだ。

第2章

近藤と土方は、芹沢と相談して「局中法度(きょくちゅうはっと)」を発表した。

一、士道ニ背(そむ)キ間敷(まじ)キコト (武士道に背くようなことをしてはならない)
一、局ヲ脱スルヲ不許(ゆるさず) (新選組からの脱退は許さない)
一、勝手ニ金策致(いたす)不可(べからず) (無断で借金をしてはならない)
一、勝手ニ訴訟取扱(とりあつかう)不可(べからず) (無断で訴訟に関わってはならない)
一、私ノ闘争ヲ不許(ゆるさず) (個人と個人の私闘を許さない)
右条々相背候者切腹申付ベク候也 (右に背く者は切腹を申し渡す)

違反した者は切腹、という厳しいものであった。
それも、バカげた印象を受けるほど厳格に感じられるのは、新しい別の生きかたが手をのばせばそこにあるのに、いまさら武士として生きよう、という時代錯誤(アナクロニズム)のためではないのか。

第3章

近藤・土方たちの実状はひたすら幕府のために働く犬で、参謀の伊東甲子太郎はこのことが大いに不満だった。かねてから伊東が考えてきた勤王のための運動ができなかったからだ。
このため、静かなる内部抗争がはじまり、結局、慶応三年(一八六七)三月になって伊東たちは分離することになった。

六月には伊東は同志とともに高台寺(こうだいじ)(京都市東山区高台寺)の塔頭(たっちゅう)・月真院(げっしんいん)を屯所とした。
新選組脱退は切腹と定められていたから、伊東ら十三名は孝明天皇の御陵衛士(ごりょうえいし)として新選組を外部から支え、以後は西国浪人(さいごくろうにん)に混じって潜入捜査(せんにゅうそうさ)を行うという理由で分派し他のである。

第4章

土方は辞世にこういう。

鉾とりて 月見るごとにおもふ哉 あすはかばねの 上に照るかと
よしや身は 蝦夷の島辺に朽ちぬとも 魂は東の 君やまもらむ

 


番組ナビゲーター:泉秀樹(いずみ ひでき)

作家・写真家 昭和18年(1943)静岡県浜松市生まれ。昭和40年(1965)慶應義塾大学文学部卒業。産経新聞社記者・編集者などを経て作家として独立。写真家としてもヤマハ横浜・藤沢で『モーツアルトのいる風景展』、藤沢市民ギャラリーで『四季の藤沢-人と海と街展』を開催するなどの活動をつづけている。昭和48年(1973)小説『剥製博物館』で第5回「新潮新人賞」受賞。日本文芸家協会会員。

「泉秀樹の歴史を歩く」

番組ページ:https://www2.myjcom.jp/special/jtele/rekishi-wo-aruku/

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