コロナ過の影響で、史上初の「年またぎ」での放送となったNHK大河ドラマ『麒麟がくる』。いよいよ「大詰め」を迎えるにあたり、視聴者もその結末や展開が気になる様子だ。そこで、これまでの大河ドラマで描かれた「本能寺の変」を振り返りつつ、その展開や結末を予想してみたいと思う。
ここで、あらかじめ断っておきたい。大河ドラマは、決して「史実」を描くものではない。さまざまな史料から得られる情報が取捨選択され、できた脚本を演出・俳優が「創る」もの。当然、作品としての好き嫌いや批判はあるにせよ、そういうものだと筆者は考える。その点を踏まえてご一読いただきたい。
これまで「16回」も描かれてきた本能寺の変
大河ドラマでは「本能寺の変」が何度も描かれてきた。その数、じつに16回。光秀が謀反を起こす動機となる描写は、作品によって多少の違いこそあれ、だいたい以下のパターンに該当し、それが繰り返されてきた。
光秀謀反までの「7つの原因」
①信長に殴打され、足蹴にされるなど折檻(暴行)を受けた
②安土城での徳川家康の接待役を解任された
③近江坂本・丹波を召し上げ、出雲・石見へ「国替え」を命じられた
④波多野家へ人質に出した母親が処刑された(以上、怨恨説)
⑤信長が足利義昭を追放、室町幕府を解体した(将軍黒幕説)
⑥信長を恨む家康に謀反をそそのかされた(家康黒幕説)
⑦信長が正親町天皇に譲位を迫るなど、朝廷を軽んじた(朝廷黒幕説)
このうち、とくに①~③までは『国盗り物語』(1973)、『徳川家康』(1983)、『功名が辻』(2006)などをはじめ、もはや「お約束」のように描かれてきた。パワハラ上司(信長)に反旗をひるがえす部下(光秀)の構図は自然であるし、やはりドラマチックだからだろう。わずかしか光秀が描かれなかった『真田丸』(2016)でも、信長(吉田鋼太郎)が執拗に暴力をふるうさまを、主人公の真田信繁(堺雅人)が目撃するシーンがあった。
また、④についても作中ではよく言及だけされていたが、生々しいかたちで描かれたのが『秀吉』(1996)。光秀の母(野際陽子)が、光秀(村上弘明)が見ている目の前で突き殺されるシーンは衝撃的だった。これら①~④は、本能寺の変の原因「光秀怨恨説」の引き金として、よく説明されるものである。
足利義昭の登場回数の多さが物語るとおり、⑤の足利義昭追放に対して光秀が嘆いたり、義昭が裏で糸を引いていたりする解釈もよく描かれる。同じく『秀吉』では、義昭(玉置浩二)が本能寺の変を知り「信長を討ち取ったり!」と小躍りするシーンがあった。
⑥の家康黒幕説を強く押し出したのも『秀吉』だ。家康(西村まさ彦)が、光秀に対して明らかに謀反をけしかける場面があった。『おんな城主 直虎』(2017)でも、家康(阿部サダヲ)を京に呼んで殺そうとする信長(市川海老蔵)に憤って、光秀(光石研)が叛意を抱くという展開だった。
このように家康が「変」に絡む展開はあったが、その一方で「秀吉」が黒幕だったとする「秀吉黒幕説」は描きにくいためか、はっきりと分かる形では描かれてこなかったように思う。
他にもさまざまな描き方があったが、なかでも『信長 KING OF ZIPANGU』(1992)は独特だった。信長(緒形直人)から過度な期待をかけられ、次々と新たな任務を命じられる光秀(マイケル富岡)がノイローゼに陥り、その過労から逃れるために信長を討つという展開。とはいえ「我らが敵は、天下乱す織田信長じゃ!」というセリフの通り、それまでに信長の暴君ぶりの数々を見て憤る描写はされていた。
だいたい、このようにどの作品でも「悪逆非道の信長を成敗する」というもので、光秀自身が「私利私欲」とか「野心」によって謀反するという展開はまず見られないのが、大河ドラマにおける「本能寺の変」である。
強調される正親町天皇の動向は「朝廷黒幕説」の示唆か?
さて、本題の『麒麟がくる』だが、同作でも、話が進むにつれて信長の悪逆ぶりが目立ってきた。対する光秀も信長の政策に疑念を抱き、反論する場面も増え、光秀の胸中が大きく揺れ動いている。序盤では爽やかですらあった信長と光秀との関係が明らかに悪化した。
大きなポイントになりえそうなのが、本作においては「正親町天皇が信長を嫌っていること」だ。信長が天皇に献上した蘭奢待(らんじゃたい)が、なぜか翌天正3年(1575年)に毛利輝元に献上された。これは史実通りの展開で、毛利家はそれを厳島神社に奉納したという記録も残る。
史実では一応、この時点では織田家と毛利家は対立関係になく、表面上は同盟関係にあった。天皇がそれを知ってわざとそうしたのかは分からない。単に毛利からの朝廷への献金の返礼とみる向きもある。
また第41回では、正親町天皇が光秀を月見にさそい、ついに直接謁見にまで及ぶという展開があった。過去、これほどまでに「天皇」の存在および政治への介在を直接的に描いた作品はなかった。やはり朝廷が、最も大きく光秀の背中を押す展開になるのではないか。
将軍・足利義昭や、徳川家康からも信頼される光秀
また、本作の光秀は足利義昭からの信頼も厚い。幕臣であった光秀は、その縁から第42回で陣中を抜け出し、なんと「鞆の浦」にいる義昭に会いに行く。荒木村重の裏切りの理由が、足利幕府体制を破壊しようとする信長への反発だったことを聞き、将軍を京へ呼び戻そうと考えたらしい。このような展開から、上にあげた原因のうち⑦「朝廷黒幕説」および、⑤「将軍黒幕説」の両方が浮かび上がることになろうか。
さらに第42回では、三河にいるはずの徳川家康が堺まで来て光秀と「密会」に及び、信長への恨みを打ち明けていた。これは上記⑥「家康黒幕説」に当てはまる展開か。
第42回で、ついに信長が暴行におよんだ
第42回では、安土城において信長に天皇との話の内容を問われるも、光秀は口を閉ざした。怒った信長は光秀を扇子で何度も殴りつけた。このとき、宣教師たちが先に部屋にいて、立ち去る場面があった。
「信長はある密室において明智と語っていたが、(中略)彼の好みに合わぬ案件で、明智が言葉を返すと、信長は立ち上がり、怒りをこめ、一度か二度、明智を足蹴にしたということである。(中略)ともかく彼はそれを胸中深く秘めながら、企てた陰謀を果たす適当な時期をひたすら窺っていた」
これは宣教師ルイス・フロイスの『日本史』の記述である。『日本史』は、信長や光秀と同時代の人物による客観的事実を記した貴重な記録。誇張や偏見は目立つにせよ、一定の信ぴょう性を帯びる貴重な史料だ。この記述を『麒麟がくる』は、巧みに拾っていたことになろう。
これ以外にも、のちの時代の成立ながら『明智軍記』『祖父物語』『稲葉家譜』などの史料に、武田征伐後に諏訪の法華寺などでの「折檻」の描写がある。おそらく、この「第二の暴行」も『麒麟がくる』では描かれるのではないだろうか。これも謀反の決定的なスイッチとなる可能性は大いに考えられよう。
こうしてみると、冒頭に挙げた「7つの原因」のうち、第42回の展開までで①⑤⑥⑦までが当てはまった。『麒麟がくる』の光秀は天皇・将軍をはじめ、多くの武将たちから信頼され、その人気者ぶりがすごい。おそらく、すべての要素が結集するかたちで、光秀は信長に刃を向けることになるのだろう。
これほど、みんなに愛される光秀の「末路」は?
しかし、気になるのが、その先の展開だ。これほどまでにみんなから愛されている光秀が首尾よく信長を討ったあと、どんな末路を辿るのか・・・。ご承知のとおり、史実の明智光秀は天正10年(1582)6月13日、羽柴秀吉との決戦「山崎の戦い」に敗れ、逃走中に非業の最期をとげる。信長を討ってから、わずか11日後の悲劇であり、俗に「三日天下」と称される。
主君の信長、信忠を討った光秀に対しての諸将の反応は冷たかった。娘のたま(のちのガラシャ)を嫁がせた細川家をはじめ、筒井順慶などの有力大名にもそっぽを向かれた。先の『日本史』にある「(光秀は)ほとんどのものから嫌われていた」などという記述がそれを裏付けるのだが、ドラマであれだけみんなから期待され、愛される光秀も、これまでのとおり悲劇的な末路をたどるのだろうか。
いっぽうで、光秀には後世につくられた「生存説」がある。光秀は死なずに生き延びて出家。徳川家康の近侍僧・天海になり、江戸幕府の創設に大きく貢献したという「光秀天海説」である。日光に天海が名付けたとする「明智平」という地名が残っているなどの事実を根拠とし、この説を信じる人も決して少なくない。
その説の是非はここでは問わないが、『麒麟がくる』の光秀も、ひそかに生き延びることを、仄めかすような展開がなされるのだろうか。だが最終回(第44回)に「本能寺の変」が描かれる以上、その先がじっくりと描かれることはないのだろう。
本作の光秀の末路までが見られそうにないのは、まことに惜しい限りではあるが、ともかくも固唾を呑んで見届けようではないか。末筆ながら昨年来のコロナ禍においても、この長編ドラマを完成させたスタッフ・俳優陣の信念と情熱に、謹んで敬意を表したい。
文・上永哲矢
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