【レキシズル流 幕末のいろは⑤】幕末を難しくした男

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【レキシズル流 幕末のいろは②】「思想」を理解しちゃおう!
【レキシズル流 幕末のいろは③】「考え」を知り、人物に当てはめてみる
【レキシズル流 幕末のいろは④】 佐幕の「美しい記憶」 

 

坂本龍馬。一度は耳にしたことのある人物だろう。しかし、「龍馬って何をしたひと?」という素朴な疑問をよく聞く。それを今回ひも解いてみよう。

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まずポイントはー

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順を追って説明していこう。
まず龍馬は故郷の土佐から江戸に、剣術の修行で出てきた。そしてペリー来航を体験する。その頃の彼はフツーの純朴な青年に過ぎず、当然尊王攘夷からスタートした。

 

そして、ある幕臣と出会う。

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勝はアメリカに渡ったことのある、当時では珍しい世界を知る男だった。「もう日本は開国するしかないんだよ」、勝の弁舌に感動を覚えた龍馬はすぐに「攘夷」の考えを捨てる。さらに勝を通じ、様々な幕府方の人物に会い、見識を広めていった。
この時点での龍馬はー

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なぜ「寄り」という言葉をつけたかというと、師匠の勝自身が幕臣でありながら、江戸幕府はもう無くなるという予測を持っていたからだ。
ここから龍馬は勝と行動を共にし、幕府が創った「神戸海軍操練所」の塾頭を務める。世界に追いつくためには「海軍」こそ日本に必要だったからだ。しかしこのプロジェクトは中途で挫折。勝がクビになり、龍馬は路頭に迷いそうになる。しかしギリギリで勝は薩摩藩に龍馬を紹介、ここから天下の風雲に龍馬は独り立ちする。

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幕末当時は必ず幕臣だったら幕府、地方の武士だったら藩と後ろ盾があり、それを基本に活動するのが当然だったが、龍馬は違った。土佐藩からは脱藩しており、浪人身分だった彼は薩摩藩などをスポンサーに会社を創った。そして幅広い人脈とキャラクターを活かし、犬猿の仲だった長州藩と薩摩藩を結ばせ、「倒幕」の流れを加速させる。
この時の龍馬はー

 

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大丈夫だろうか?頭の回転が速すぎるのか、龍馬はコロコロと思想を変えた。しかも最終的には国内で戦を起こしては、外国の思う壷だとあっさり「倒幕」を止め、「大政奉還」という平和的な解決法を熱く推進し、結局それを成し遂げる。
最終的に龍馬はー

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これには「倒幕」を強烈に進めていた薩摩長州だけでなく、「佐幕」である幕臣や会津藩も、「なんだこいつ!!」と怒り沸騰。結局、龍馬は暗殺される。いまでも誰が龍馬を殺したかちょいとした論争になっているが、そりゃそうだ。これだけ思想を変え、しかも行動も速く、次々と企画を成就させてしまう。回りは敵だらけになる。つまり、幕末で最も憎まれた男だったのだ。

これだけ幕末をひっかき回して、彗星の如く去っていった男はいないだろう。後世の人間からすると、その勇気、痛快、行動力、そして新しい日本のために命を賭けたなど魅力的に龍馬は映る。僕もそのひとりだ。しかし説明側としては、これだけ幕末をわかりづらくした人物もいない。

願わくば一度、龍馬と熱燗でも呑みながら、その心情をインタビューしたいものだ。



坂本龍馬とはー

 

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訳が分からないが、愛される人間ているもんだ。

 

【プロフィール】

渡部さん

渡部麗(わたなべりょう)

歴史クリエイター。
東京・御茶ノ水で歴史コミュニケーションメディア「レキシズル」を主宰。所有しているショットバーの水曜日を「レキシズルバー」として開放。歴史好きの交流を活性化しながら、畳敷きのイベントスペース「レキシズルスペース」で歴史をポップにわかりやすくプレゼンする「TERAKOYA」などを開催。

レキシズルオフィシャルサイト

 

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