宮本武蔵。歴史好きでこの名前を知らない人はいないでしょう。
自分の領地をもち家を率いる戦国武将とは道を異とし、あくまでも「個」としての強烈な存在感を残した剣豪であり兵法家です。
天正12年(1584)〜天保2年(1645)、六十余回の戦いに全て勝利。
二刀を配する二天一流兵法をひらき、その生涯をかけて「最強」の称号を成しました。
彼の生涯は、吉川英治氏の小説「宮本武蔵」(以前に弊誌にて同作のオーディオブック配信を紹介)をはじめ、コミック「バガボンド」などの書籍に多数描かれ、ライバル佐々木小次郎との「巌流島の戦い」は、もうこれまで数えきれないほどの映像や舞台でリメイクされてきていますよね。
彼は関ヶ原の戦いに参加したとされていますが、その後三十才の前半を諸国の兵法者と戦い、五十一才に至る約二十年は史実的に全く空白。この間東西に剣客の旅を続けたと伝えられています。
そして、寛永十一(1634)年、五十一才のとき養子であった宮本伊織を伴い小倉に現われ、伊織を小倉の小笠原家に仕官させ六年滞在。
寛永十四年島原の乱には武蔵は伊織とともに小笠原忠真の軍に従って作戦に参画、伊織は殊勲があり家老の要職についたそうです。
武蔵はその後寛永十七(1640)年に肥後の細川忠利侯に招かれ、単身肥後熊本藩の軍事顧問として客分となり、肥後千葉城に居住。
寛永二十年十月十日に兵法三十五箇条を骨子とした「五輪の書」を霊厳洞に籠り執筆し、
正保二(1645)年五月十二日寺尾勝信に完成した五輪の書を授け死去。
まさに完成と同時に黄泉の国へ旅立って以来、二天一流は寺尾一族により師範家の継承が行なわれてきています。
駆け足で宮本武蔵の一生をお送りしましたが、なんとこの度、武蔵が生涯をかけて書き記したその「五輪の書」が、短編映像作品として11/30(月)にwebにて発表されることになったそうなのです!
短編映像作品『宮本武蔵 五輪書』は今回、武蔵が晩年を過ごした地、肥後熊本での軌跡を追ったドキュメンタリー。
製作したのは二天一流の東京支部がプロデュースしたという由緒正しい作品です。
ナレーターは武道家であり、俳優の藤岡弘、氏。武蔵が細川忠利公に招かれ、五輪書を書きあげるまで、そして五輪書によって後世に遺された哲学とは何かを、武蔵ゆかりの地の映像に合わせて語ります。まずは迫力の
予告編(1:50)をご覧ください。
宮本武蔵継承(野田派)二天一流第二十一代の荒木章博師範と門弟一同による熊本城での演武、そして熊本県知事の蒲島郁夫氏による武蔵と熊本の関わりについてのインタビューなどを五輪書の五巻に見立ててドキュメンタリーとしてまとめたこの作品。
熊本県、熊本市の全面協力で許可された本丸御殿昭君の間や、世界の武蔵ファンが訪れる島田美術館、五輪書を執筆した霊巖洞のある雲巖禅寺などでのシーンなど見どころたくさん。藤岡弘、さんのナレーションも相まって、迫力ある作品になること間違いありません。
この五輪書、日本での公開はまもなくとのことですが、それに先がけて明日11/28にはなんとベトナムでの世界初の制作発表会を開催するそうです。
しかもこの制作発表会は武蔵の最大のライバルといわれる「大瀬戸隼人」直系の子孫で、現代剣道界にその名を残す「大瀬戸家」の嫡男であり、現在ベトナムのシルバークリークホテルでジェネラル・マネージャーを務める大瀬戸雅之氏が監修。
まさにご先祖様の運命に導かれてこの作品が海を渡るのですね。本当に本編の公開が待ち遠しいです!
武蔵が晩年残した「究極の活人剣」の極意。
謎の多い彼が残した人生の極意と共に、なぜ五輪書を残そうと思ったのか、それはなぜ熊本だったのかなど紐解く貴重な今作をお見逃しなきよう!
※追記:11/30に公開されたフルバージョン(24:26)もこちらでご覧になれます!迫力ありすぎカッコよすぎです!
参照元:
「武蔵継承 兵法二天一流」オフィシャルサイト
「宮本武蔵継承 二天一流 東京支部」Facebookページ
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