第6代将軍:徳川家宣

3代将軍・家光の孫にあたります。真面目で細面のハンサムだったそうですよ。生類憐みの令を廃止し、真面目に政務に取り組みました。綱吉の養子となったたことで周囲が賄賂を持ってきましたが、彼は一切受け取らなかったそうです。死因は、当時流行していた感冒(インフルエンザ)ともいわれいます。
第7代将軍:徳川家継

6代・家宣の四男。兄弟みな早逝してしまい、なんと4歳という史上最年少で征夷大将軍となりますが、彼もまた病弱で8歳で亡くなってしまいました。ちなみに家継が亡くなった時、婚約者はまだ1歳7か月でした・・・。
第8代将軍:徳川吉宗

言わずと知れた「暴れん坊将軍」のモデルです。
徳川御三家の紀州藩・徳川光貞の四男でしたが、御三家出身で初めて養子として宗家を相続します。
幕府の財政を建て直し、倹約を奨励するなど享保の改革で有名ですね。一方、蘭学など海外に興味を持ち、ベトナムから象を輸入して江戸の町を騒然とさせますが、空前の象ブームをもたらしたとか。
第9代将軍:徳川家重

吉宗の長男として第9代将軍に。虚弱で言語障害があったため、父・吉宗の悩みの種だったようです。ただ、享保の改革の遺産があったため治世は安定していました。かなりの頻尿だったようで、小便公方とも呼ばれていたそうです。実は女性だった!?という説もあります。
第10代将軍:徳川家治

家重の子として第10代将軍になった家治は、祖父・吉宗から帝王学を授かり、幼い頃は聡明で有名でした。
しかし田沼意次を登用するなど政治面には疑問が残りました。将軍にしては珍しく愛妻家だった家治は、側室に男子を生ませるとすぐに正室に預けお役御免としたそうです。ほかにも将棋を愛好し、7段の腕前を持っていました。