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【偉大なる“大帝”】誰よりもロシアを愛した女帝エカテリーナ2世

【偉大なる“大帝”】誰よりもロシアを愛した女帝エカテリーナ2世

数々の輝かしい功績を残し、大帝と称されたロシアの女帝エカテリーナ2世。しかし一方で、クーデターを起こして夫から帝位を奪い、多くの愛人がいたというエピソードから、彼女を「悪女」と呼ぶ声もあります。果たして彼女はいったいどのような人物だったのでしょうか?

皇太子妃候補としてロシア王宮へ

プロイセン(現在のドイツ北部からポーランド西部)の小さな公家の娘として生まれたゾフィー・アウグステ・フレデリーケ(後のエカテリーナ)は、母ヨハンナの早逝した兄がロシア女帝エリザヴェータの元婚約者であった縁もあり、14歳でロシア皇太子ピョートル・フョードロヴィチ(後のピョートル3世)の妃候補としてロシアへと向かいました。

サンクト・ペテルブルクに到着したゾフィーは、皇太子妃の座を射止めるため、ロシアの言語や宗教、歴史を必死に勉強しました。熱中するあまり高熱を出してしまうほどの勤勉な姿に、エリザヴェータやロシア国民が心を動かされたという逸話も残っています。

その後、父の反対を押し切りロシア正教に改宗したゾフィーはエカテリーナ・アレクセーエヴナと名を変え、翌1745年、ついにピョートルと結婚します。しかし、不幸なことに彼は男性機能に欠陥があり、エカテリーナと長い間夫婦の生活はありませんでした。ドイツ人の血をひくことを誇りとし、プロイセン王フリードリヒ2世の熱烈な崇拝者であったピョートルは、ロシアを愛する努力を惜しまないエカテリーナには興味がなく、よそに愛人を作るなど夫婦の関係は冷え切っていきます。

エカテリーナとピョートル

初めての愛人、出産、そしてクーデター

そんな中、エカテリーナは3歳年上のセルゲイ・サルトゥイコフと恋に落ちました。世継ぎを求めるエリザヴェータが彼を勧めたとも言われています。1754年、エカテリーナはパーヴェル・ペトロヴィチ大公(後のパーヴェル1世)を出産。しかし、パーヴェルはエリザヴェータに取り上げられ、セルゲイも左遷されてしまいます。悲しみに暮れるエカテリーナでしたが、その後もスタニスワフ・ポニャトフスキ(後のポーランド国王)や近衛軍の将校グリゴリー・オルコフといった愛人を作り、次々と子を産んで行きます。

1761年、女帝エリザヴェータが死去、ピョートル3世が帝位を継ぎました。領土を巡りプロイセンと七年戦争を繰り広げていたロシアでしたが、プロイセン贔屓だったピョートル3世は、自国が優勢だったにもかかわらず講和条約を結び兵を引き上げてしまいます。

そんなことからロシア国内でピョートル3世への不満が高まる中、立ち上がったのがエカテリーナでした。ロシア正教や近衛軍の支持を得てクーデターを敢行し、ピョートル3世を幽閉して廃位に追い込みました。この時、エカテリーナはロシアの誇りを示そうとロシア軍伝統の緑色の軍服を着て自ら馬上で指揮を取ったと伝えられ、その凛々しい姿は肖像画として残されています。

1762年9月22日、エカテリーナは第8代ロシア皇帝として即位。ロシアの血を全く引いていない、しかし誰よりもロシアの誇りを持つ女帝が誕生したのです。

軍服に身を包みクーデターを指揮するエカテリーナ

女帝として数々の功績を残す

女帝となったエカテリーナは、その治世下でオスマン帝国との2度にわたる露土戦争(1768~74年、1787~91年)に勝利してクリミアを併合すると、3回におよぶポーランド分割により、その領土を著しく拡大させました。1792年には日本人漂流民の大黒屋光太夫を帰国させるため、アダム・ラクスマンを根室に派遣し、極東進出の一環として江戸幕府に開国を迫っています(結果的にロシアとの交渉を進めていた幕府の老中・松平定信が失脚したことで実現しませんでした)。

対外政策だけでなく、エカテリーナは、世界有数の大美術館であるエルミタージュ美術館の礎となる絵画のコレクションや宝飾品の収集に力を尽くしたことでも知られています。さらに、ロシアで初めて女子貴族のための学校であるスモーリヌィ女学院を設立し、ヨーロッパ諸国の宮廷や社交界に送り込む貴婦人の養成にも力を入れるなど、文化や教育の面でも数々の功績を残しています。

ドラマ『エカテリーナ』より ©RUSSIA TELEVISION AND RADIO

「玉座の上の娼婦」と評された私生活

そんなエカテリーナですが、私生活の面では生涯で数百人もの愛人を抱えていたという逸話も残っています(名前が知られているだけでも12人の愛人がいました)。そんな彼女を孫のニコライ1世は「玉座の上の娼婦」と酷評したそうです。

しかしながら、エカテリーナの統治において、愛人たちが果たした役割が非常に重要であったことも忘れてはなりません。クーデターの立役者であるグリゴリー・オルコフは、統治の初期にエカテリーナの相談役を務めました。また、彼女が生涯で最も愛したと言われる10歳年下のポチョムキンは、国政に幾度も助言を与え、クリミア併合の立役者となり、黒海艦隊を創設します。私生活だけでなく、政治家や軍人としても彼らはエカテリーナを支えていたのです。

エカテリーナが最も愛した男 ポチョムキン

 

エカテリーナは晩年も40歳近く年の離れた若い男を愛人にし、その関係は1796年に67歳で亡くなるまで続きました。死ぬ間際まで自分の信念と欲望に忠実であったエカテリーナ。その治世は、歴代ロシア皇帝の誰よりも長い34年でした。

ロシアを誰よりも愛し、大国へと導いた彼女は、”大帝”と呼ばれる数少ない偉大な皇帝として歴史に名を刻んだのです。

宮廷歴史ドラマ「エカテリーナ」

放送日:2018年2月19日(月)スタート 月-金 深夜0:00~ 第1話スカパー!無料放送
番組ページ:https://www.ch-ginga.jp/feature/ekaterina/

 

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