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第3回「負けた会津の側にも大義はある! 戊辰戦争を多角的に見る歴史の醍醐味」【松平定知が語る明治維新150年 ~その時 日本が動いた~】

武家政権を終わらせ、近代の扉を開いた「明治維新」から今年で150年。これを記念し、「その時歴史が動いた」の司会などで知られる松平定知氏による全4回の新連載がスタート。題して「松平定知が語る明治維新150年 ~その時 日本が動いた~」!第3回のテーマは、新政府軍と旧幕府軍による激しい戦いが日本各地で繰り広げられた「戊辰戦争」です。

日光口で新政府軍の進軍を阻んだ会津藩の山川大蔵(大河ドラマ「八重の桜」より ©NHK)

藩祖が定めた家訓によって戊辰戦争の悲劇を生んだ会津藩

2018年は、戊辰戦争からちょうど150年目となる。それにちなんで、チャンネル銀河では9月17日から大河ドラマ『八重の桜』の放送がスタートする。その主人公である新島(山本)八重は、会津戦争ではスペンサー銃を手に新政府軍と戦い、維新後はその武器を銃から知識へと持ち替えて、時代をリードする女性へと成長していった。現在放送中の大河ドラマ『西郷どん』が西郷隆盛ら勝者の物語を描くのに対し、『八重の桜』は旧幕府軍として戦い、最後は逆賊として降伏した会津藩の物語を描いている。両番組を並行して視聴してみると、より重層的に幕末や明治維新を楽しめるのではないだろうか。

当初は恭順の姿勢をみせた会津藩にとって、戊辰戦争は新政府側から売られた喧嘩のようなものである。新政府側は、時局の有利を決定的なものとするため、いちゃもんをつけながら徹底的に旧幕府側の武士たちを駆逐しようと画策していった。そんななか、会津藩は旧幕府側の武士たちの不平・不満の受け皿となっていく。戦力的に不利で、当時の趨勢では敗北するのがわかっていたにもかかわらず、会津藩は最後まで新政府軍に抵抗した。その理由は、会津藩の成り立ちが大きく影響している。

家訓を守り最後まで戦い抜いた会津藩主・松平容保(大河ドラマ「八重の桜」より ©NHK)

会津藩の藩祖である保科正之は、江戸幕府の第2代将軍・徳川秀忠の側室の子である。しかし秀忠は、正室であるお江の方の嫉妬を恐れ、ひそかに信州高遠藩主の保科家へ養子に出す。そんな不遇の時代を過ごしたあと、第3代将軍・徳川家光の代になってようやく、正之は家光から異母弟の認知を受け、会津藩23万石の大名に引き立てられた。その恩に報いるため、正之が制定したのが15条からなる会津藩の家訓だった。第1条に「会津藩は将軍家をひたすら守るべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と記し、以降は藩主・藩士がこれを忠実に守っていった。幕末の会津藩士たちが最後まで徳川幕府に忠誠を尽くしたのは、この藩祖の遺訓を固く守ったからであり、裏を返せば、この将軍家への絶対服従という家訓が足かせとなって戊辰戦争の悲劇を生んでしまったのである。

西郷と勝の会談の真実!あの名シーンはフィクション

戊辰戦争の緒戦となった鳥羽・伏見の戦いは、誰も目にしたことがないという事実を逆手にとって、「錦の御旗」を新しくつくってしまった岩倉具視の作戦勝ちとなった。これが戦場にひるがえったことによって、賊軍の立場となった旧幕府側は士気をそがれ、大将格の徳川慶喜が「これはいかん」と自軍を捨てて大坂城から海路で江戸へ逃亡してしまう。慶喜はそのまま上野の寛永寺に謹慎し、新政府側に対して恭順の意を示した。

戦争は、大将が「やめた」と言ったらおしまいである。ご多分にもれず、新政府軍は破竹の勢いで諸藩を降伏させながら江戸へ向けて進軍していった。慶喜から旧幕府軍の全権を委任された勝海舟は、幕臣の山岡鉄舟(鉄太郎)を新政府軍の駐留する駿府(現在の静岡市)へ派遣し、降伏条件を西郷吉之助(隆盛)に打診した。このとき、敵軍のなかを進む山岡を護衛しながら西郷のもとまで送り届けたのが、侠客として知られる清水次郎長だった。また、面会した山岡の人柄に惚れこんだ西郷が、帰りの江戸までの道中の安全を保証したというエピソードも見逃せない。英雄は英雄を知るということだ。

西郷と勝の江戸城無血開城が話された
薩摩藩蔵屋敷跡に立つ
「江戸開城会見の地」の碑(港区芝)

その後、江戸まで進軍した西郷は、勝の訪問を受ける。池上本門寺、高輪の薩摩藩下屋敷での連日におけるふたりの会談を経て、三田の薩摩藩蔵屋敷で江戸総攻撃の中止と江戸城の無血開城が決まった。この歴史的な会談では、誰もが脳裏に思い浮かべる有名なシーンがある。「庶民のために江戸を火の海にしないでください」と勝が頼むと、西郷が沈思黙考したあと着物の帯をたたきながら「わかりもした」と返答する見せ場である。しかし、作家の半藤一利さんに聞くと、これは完全なフィクションらしい。まずもって、西郷は洋服を着ていたのだという。さらに、西郷は席に着くなり開口一番「総攻撃はやめますから」と勝に告げたそうだ。なんとも味気ない話だが、現実は所詮そんなものなのかもしれない。

江戸総攻撃の中止には、イギリス公使・パークスの影響もあったといわれている。木梨精一郎(長州藩士)や渡辺清(大村藩士)といった部下を通じて、パークスが「どんなに意見が違ったとしても、相手が謝ったら許すのが国際法であり、慶喜を攻めるなんてありえない。しかも、江戸総攻撃をすることによって我が国の居留民たちが負傷したら、その瞬間から、あんたらの敵は幕府ではなく我が国になるぞ」と怒っていると伝え聞いた西郷は大きな衝撃を受け、すぐさま江戸総攻撃の中止を決意したという。

遺恨なんて飛んでいけ!薩摩と会津の不思議な関係

江戸城の無血開城や上野戦争などを経て、戊辰戦争の戦場は東北地方へと移っていく。会津藩や庄内藩の「朝敵」赦免嘆願を目的として、奥羽越列藩同盟が成立したからである。北進する新政府軍が会津藩領に突入したとき、ちょうど会津藩は主力部隊を藩境の要所に配備した直後だった。そのため、鶴ヶ城下には老人主体の「玄武隊」や少年主体の「白虎隊」しか残っておらず、彼らが戦いに駆りだされるハメとなった。それが、後世に多くの物語を生むことになる白虎隊の悲劇につながったのは気の毒としか言いようがなく、胸が絞めつけられる思いだ。

また、新政府軍の兵士が鶴ヶ城下に乱入すると、会津藩は女性までもが戦った。中野竹子をはじめとする娘子軍(じょうしぐん)は、城外で新政府軍と勇敢に戦い散っていった。その一方で、家老・西郷頼母の妻・千重子のように、籠城戦の足でまといになるとして一家で自害をする者もいた。山本(新島)八重がスペンサー銃を手に持って、城の石垣の上から新政府軍を狙撃したのも、この会津戦争のときである。

会津戦争でスペンサー銃を持って戦った八重(大河ドラマ「八重の桜」より ©NHK)

この戦いで、新政府軍を指揮していた大山巌が右股を撃たれ負傷した。一説によると、八重の放った銃弾が命中したという。大山は西郷隆盛のいとこであり、西南戦争のあとに会津の山川捨松(八重の幼なじみの妹)と結婚するという不思議な縁を持つ。その際、山川家が「私たちは賊軍の家族ですから」と断わると、大山は「私なんて逆賊のいとこですから」と返したという。心に響くエピソードだが、元薩摩藩士と会津の女性との結婚は、当時はかなりの物議を醸した。

ちなみに、戊辰戦争のとき京都にいた八重の兄・山本覚馬が捕らわれていた薩摩藩邸の跡地には、維新後に新島襄(八重が再婚した夫)が同志社大学を建てたり、覚馬が府政を指導していた京都には、のちに西郷隆盛の子・菊次郎が京都市長としてやってきたりと、いろいろつながっているのも興味深い。

会津藩の潔さから学ぶ日本人が大事にすべき精神

歴史は勝者によって語られるものだ。しかし、調べていくと、負けた側にも大義はある。悪者だから負けたわけではない。切り口を変えると違った歴史が見えてくる。幕末の戊辰戦争において、会津藩は敗者となった。機に乗じた連中が「新政府」という勝ち馬に乗るなか、会津藩は一方的に反逆者の汚名を着せられ、最後まで愚直に武士の大義をもって戦い抜いた。「大義をもって倒れるとも、不義をもって生きず」……その美学に人の心が揺さぶられないはずがない。

会津藩の教育指針に「什(じゅう)の掟」がある。「年長者の言うことに背くな」「噓をつくな」など、生きていくうえでの基本的なことを7か条で示したもので、締めくくりの「ならぬことはならぬものです」というフレーズで知られている。この什の掟が、「私欲によって道理を曲げない」という会津人特有の人格を形成したといわれ、これが戊辰戦争の悲劇につながっていく一因となったのは皮肉な話である。

漫画家の黒鉄ヒロシさんが、『その時歴史が動いた』という私の番組のなかで、司馬遼太郎さんの「会津があったからこそ、我々は日本人をちょいと信用できる」という言葉を紹介されていて、私も「そのとおりだ」と深く感銘を受けた。沈む泥船だとわかっていながら、信念を貫くためにあえて乗船していく。そういう筋を曲げない潔さの美学こそが、偽装や改ざんに専心する現在の日本人が大事にすべき精神なのではないだろうか。

のちの西南戦争では、旧会津藩の人たちが戊辰戦争のリベンジとして薩摩に攻めていく。これもまた、歴史の妙味といえよう。

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大河ドラマ「八重の桜」チャンネル銀河でCS初放送スタート!

放送日:2018年9月17日(月)放送スタート 月-金 朝8:00~
リピート放送:2018年9月17日(月)放送スタート 月-金 深夜1:15~
番組ページ:https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/

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