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【はにわコレクション】元祖ゆるキャラ?実はたくさんある埴輪の種類

よく分からない点も多いけれど、何処か可愛くて、不思議な魅力を持った「埴輪(はにわ)」。 埴輪とは、古墳の上や周囲に並べられた主に素焼きの焼き物で、古墳時代の3世紀後半から6世紀後半にかけて作られていました。 文字が使用されていなかった時代の...
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【6月1日は写真の日】日本で初めて写真撮影をしたのは誰?

6月1日は「写真の日」というのを知っていますか? この記念日は日本だけですが、なぜ6月1日が写真の日かというと、1841年6月1日に、初めて日本人による写真撮影の記録があったからだそう。(ちなみにその時に撮影されたのは島津斉彬という話です)...
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【信長の命名センスに脱帽】戦国時代にもキラキラネームはあった!武将たちの意外な幼名

近年、子供の命名に一見読めないような当て字を使った「キラキラネーム」が話題になっています。 しかしそれは現在に始まったことではありません。戦国時代にも、数々の武将が幼名にいわゆるキラキラネームを付けられていた事を知っていましたか? 今回はそ...
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【サミットで注目の伊勢志摩】九鬼嘉隆終焉の地・答志島に伝わる『寝屋子制度』

日本がホスト国となった2016年の第42回先進国首脳会議、通称「伊勢志摩サミット」の開催地として一躍脚光を浴びた三重県の賢島。リゾートホテルが立ち並ぶこの島が会場に選ばれた最大の理由は、本土をつながる橋が二つしかなく、警備がしやすいというこ...
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【十中十死・島津の捨て奸】壮絶!奇策!? 歴史に残る戦法の数々

戦いなしには歴史は語れませんが、多くの戦いの中でも後世に語り継がれる戦法がいくつも登場します。今回は、壮絶な戦法や思いもよらない奇策を用いた戦いをご紹介しますね。 十中十死・島津の「捨て奸(がまり)」 関ヶ原の戦いにおいて西軍に付いた島津義...
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【ご先祖は有名人】偉人の家系ならではの苦労も…子孫たちが語るエピソード

先日もご紹介した歴史上の人物の子孫たち。 吉川晃司はあの人の子孫だった!偉人の「意外なご子孫」まとめ 歴史上に名を残した人物の子孫の方々には、子孫だからこそ知っているその家系の習わしや歴史上の出来事などがあるようです。そうしたエピソードは私...
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【 江戸と東京の総鎮守 】パワースポット神田明神と祭神・平将門の歴史

一時期「パワースポット」という言葉が流行しました。一般的にはエネルギーが強い場所をさし、そこに行くとリフレッシュできるとのこと。そのため、パワースポット巡りをする人も増えたのだとか。 場所や方角に強い力を見出す考え自体は、日本では有史以来か...
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【家康、お前もか…】昔の日本は男色だらけ!出世も大奥も男色が元だった

昔の日本は、西洋に比べると随分と性に対して開放的でした。『男色』もそのひとつです。実は古事記にもそういう記述が登場しているのです。長い歴史において、男色はすでにひとつの文化となっていたのですね。今回は、そんな男色についての記述が残っている歴...
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【殺生関白か悲劇のプリンスか】歴史の闇に葬られた豊臣秀次

秀吉の後継者になるはずだった男・豊臣秀次 豊臣秀吉の甥として永禄11(1568)年に生まれた豊臣秀次。 幼少時から叔父・秀吉の戦略の駒となって、戦国武将の宮部継潤や三好康長の養子となり、名前も宮部吉継、三好信吉と改名しています。 後に養子先...
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【弱冠20才、立花宗茂の機略】島津4万の大軍を手玉に取った伝説の若武者

戦国期の立花山城は福岡市の東部、香椎の立花山主峰を本城として、松尾山、白岳など山域全体を要塞化した山城。商都、博多を扼する重要な城でした。 天文年間、豊後の大友宗麟は筑前の守護職を得て博多を掌握し、重臣の戸次鑑連(立花道雪)を立花山城に入れ...
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