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【 編集部 スペシャルレポート 】「九州駆け足歴史旅」Vol.5 熊本

みなさんこんばんは!歴人マガジン編集部Yです。
さあ、今週いっぱいの「九州 駆け足歴史旅」もいよいよラストとなりました。
今日は全国の城の中でも、例年トップを争うほどの人気の「熊本城」へ。

豊臣秀吉の幼なじみで、賤ヶ岳七人衆の一員として大活躍の猛将 加藤清正公が1400年代の後半に築いた名城は、その規模といい、デザインといい、色といい素晴らしいもの。毎年人気No.1を競うのも納得できます。

わたくし、熊本は一昨年の12月以来の訪問でしたが、その時は時間がなく城内を巡る時間がなかったので、今回こそはと存分に楽しんできました。それでは九州駆け足歴史旅最終回、熊本城をお送りします!

随所に見られる清正公のセンス


まず巨大な二の丸駐車場へ車を止めて、メインの入り口である「頬当(ほおあて)御門」から入城。
眼前に迫る天守を眺めながら思わず「城攻めじゃあああ」と口にしてしまう私なのでした。

ちなみにこの熊本城、明治の廃刀令により誇りを奪われた「西郷どん」こと西郷隆盛をはじめとする士族が、政府に対して起こした西南戦争で天守などほとんどが焼失してしまったのですが、その後多くの人の協力により、忠実に再現されました。現在の天守は1960年に再建されたものです。

まずすごいのは2008年に公開された本丸御殿の下を通る地下通路「闇り通路」。
毎度どこのお城を見ても思うんですけど、クレーンもショベルカーもない時代、どうやってこんなぶっとい梁や石を運べたのか、想像もできません。
特に清正公独特の「武者返し」と言われる上に行くほど垂直に近くなる石垣など、とても500年以上前に建てられたなど想像もできません。

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上に行くにしたがって勾配がきつくなる武者返し(むしゃがえし)。

上に行くにしたがって勾配がきつくなる武者返し(むしゃがえし)。

この太い梁の上には2008年に公開された本丸御殿がある。

「闇り通路」。全国でも例を見ない特殊な構造

通路を抜けるといよいよ天守前へ。もうこの時点でテンションが上がりまくり。
たくさんの修学旅行生とアジアの観光客にまじって入城です!

キターーー!

キターーー!

天守は地上6階地下1階、石垣から30メートルの高さにそびえる大天守と地上4階地下1階、同じく石垣から19メートルの小天守をはじめ、他の地域ではゆうに天守に匹敵する大きさの宇土櫓(やぐら)をはじめ49もあり、城郭の広さは約98ha(東京ドーム21個分)、周囲約5.3kmにも及んでいます。

城内の展示品などは残念ながらほとんど撮影が禁止されていますが、その中でもOKだったもの数点をお見せします。
また天守内の各階には、櫓などを復元するための「一口城主」に募金した人の名簿がズラ~−ッと並んでいました。

改築前にあったシャチホコ。

改築前にあったシャチホコ。

清正公時代の熊本の町のジオラマ

清正公時代の熊本のまち。

加藤家のあと藩主となった細川忠興公のアイデアの越中形兜。完璧にダースベイダーの原型でしょコレ!

越中形兜。加藤氏のあと藩主となった細川忠興公のアイデアだそうだ。

越中形兜。カッコいい。

天守を建築するために造られた10分の1スケールの模型。

天守を建築するために造られた10分の1スケールの模型。

そしていよいよ天守へ。

こちらは西南戦争前の貴重な写真。

長崎方面を臨む西南戦争前の貴重な写真。

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こちらは現在の風景。

右手前が2008年にできた本丸御殿。

右手前が2008年にできた本丸御殿。

小天守から臨む大天守。

小天守から臨む大天守。

再び天守前広場に下りてくるとそこにあるのは大銀杏
説明を見ると、この銀杏は清正公が築城の際に植えたものらしく、清正公が亡くなるとき「この銀杏が天守と同じ高さになった時異変が起きるだろう」と予言し、それが奇しくも西南戦争だったとの言い伝えが。。
その成木は西南戦争で焼けてしまいましたが、根本から出た脇芽がこんなに大きくなったそうです。凄いですよね。

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ああ、凄かった天守閣。さすがに天下一の城郭です。
思わずもう一回振り返って1枚。

何度見ても美しすぎます。

何度見ても美しすぎます。

ハンパない豪華さ!再現された本丸御殿


さて、最後に締めくくりとして広場にあり復元された「本丸御殿」へ。
平成15年の秋から始まった「本丸御殿大広間」の建築工事は、江戸時代から残る絵図や文献、古写真、発掘調査を基に復元工事も着々と進行、平成20年の春に落成した、創建時の様相をもつ壮麗で美しい大御殿です。

まずビックリは6つの部屋からなる大広間。手前の「鶴之間」はなんと60畳もあるんだそうです。イメージ的には大政奉還が行われた二条城の大広間より広い!

そして何より藩主が部下と謁見する昭君之間(しょうくんのま)の豪華さにはアングリ。
壁や襖などには中国の前漢の時代の話で、匈奴(現在のモンゴル)に嫁がされた悲劇の美女、王昭君の物語が描かれています。

大台所の天井。二つの大きな囲炉裏があり、煙が出るため吹き抜けに。

大台所の天井。二つの大きな囲炉裏があり、煙が出るため吹き抜けに。

「鶴之間」(60畳)から奥に向かって「梅之間」「櫻之間」「桐之間」「若松之間」がある。

最大の部屋である「鶴之間」(60畳)から奥に向かって「梅之間」「櫻之間」「桐之間」「若松之間」がある。

昭君之間(しょうくんのま)。圧巻の豪華さ。ハンパありません。

昭君之間(しょうくんのま)。圧巻の豪華さ。ハンパありません。

と、まさに駆け足ながら1時間ほどの熊本城内めぐり、終了となりました。
時間的な余裕がなく、天守周りだけしか見ることができませんでしたが、天守以外にもまだ数えきれないほどの史跡や見どころが山ほどあります。詳しくは熊本城オフィシャルサイトをご覧ください。

今回、佐賀〜長崎〜島原〜熊本と巡ってきましたが、次回はそれぞれ最低2,3日かけて巡る再挑戦の実現を天に願い、今回の歴史旅レポートを一旦終わりにしたいと思います。
車で連日移動しながらの旅で大変したが、とにかく楽しかったー。
このレポートが、少しでもみなさんの歴史旅の参考になれば、こんなに嬉しいことはありません。

あ、そうだ。
旅の楽しみの一つである「食事」をご紹介していなかったことを思い出した。
近日番外編でお送りするかもしれませんので、その時はまた読んでやってください(笑)

今週中いっぱいこの連載を読んでくれたみなさん、ありがとうございました。
来週からは通常通り、いろいろな歴史情報をお送りしていきますので、引き続きよろしくお願いします!

参照元:
熊本城」オフィシャルサイト
満遊くまもと」熊本市観光サイト
なごみ紀行くまもと」熊本県観光サイト

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副編集長Y

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