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【 怨霊も時を経れば神様に!? 】 日本に影響を及ぼした祟りと呪い


科学技術先進国として知られている日本ですが、日本の歴史の中では「呪術」や「占い」が重要な役割をもっています。
地震などが多い日本には、災害や疫病を「祟り」だと考え、その祟りを畏怖し鎮めることで「国家の繁栄」を実現させようとする「御霊信仰(ごりょうしんこう)」という神道からくる信仰があり、政治や都市計画の中で大きな影響がありました。
日本の歴史を動かしていた「呪術」や「占い」とは、一体どんなモノだったのでしょうか?

男性に替わって占いを武器に国を治めた女王「卑弥呼」

邪馬台国のことが記されている「魏志倭人伝」

弥生時代後期、日本に存在していたとされている「邪馬台国」。
30近い国々をまとめていた邪馬台国ですが、男性の王が統治していたときはどうにも騒乱が絶えないので、女王の卑弥呼が「鬼道(きどう)」という呪術で統治することになります。

「鬼道」については詳しい文献が残っておらず、その内容については諸悦ありますが、超自然的な霊を媒介して政治を助けるための手法であるという説が有力です。卑弥呼はこの「鬼道」を駆使し人心を掌握することで、騒乱続きだった邪馬台国を平穏に統治していたとされています。

女王に就任してからの卑弥呼はほとんど人に会うことなく、「鬼道」で国を統治していました。
卑弥呼の死後は男性の王が統治しましたが、再び騒乱が起きるようになってしまったため、13歳の少女「壱与(いよ)/台与(とよ)」が治めることに。
当時の権力者である豪族は男性よりも女性に従順?だったようです。
不思議な力をもっていた卑弥呼を「天照大神」と同一だとする研究も多く存在しています。

非業の死を遂げた天才が怨霊となり、学問の神様へ「菅原道真」

「学問の神様・菅原道真」

平安初期の貴族である菅原道真(すがわらのみちざね)。
その聡明さは幼少期から周囲に知られ、数々の難関試験も楽に突破していました。道真は当時権勢を誇っていた宇多天皇に厚く信頼され出世していきます。しかし、右大臣にまで出世した段階で後ろ盾だった宇多天皇が出家。
今まで順調に出世していた道真を疎ましく思っていた藤原氏が、道真に無実の罪を着せて左遷。京都に戻ることを希望していましたが、道真は左遷先の太宰府で延喜3(903)年に亡くなってしまいます。

そして、道真の死後に次々と怪奇現象が・・・。
道真を左遷に追い込んだ首謀者の中納言・藤原定国(ふじわらのさだくに)が延喜6(906)年に急死。宇多天皇の邪魔をした藤原菅根(ふじわらのすがね)が延喜8(908)年に雷に打たれ死亡。病が悪化していた藤原時平(ふじわらのときひら)は菅原道真の呪いに怯えながら延喜9(909)年に狂死。

こうして、道真の左遷に少しでも関わった人たちが次々と急死していくのです。
道真自身は呪いの言葉などは残していませんでしたが、大量に役職が亡くなっていく状況に平安京はパニック状態へ陥ります。

「道真の祟りとされる清涼殿落雷事件(『北野天神縁起絵巻』)」

この大量死の原因であろう道真の怨霊を鎮めるために、京都に「北野天満宮」を建設。その後、生前の菅原道真の聡明さから学問の神様として祀られることになりました。

天皇から魔王となった?「崇徳天皇」

現在は京都の白峯陵に眠っている崇徳天皇

4歳で帝となった崇徳天皇(すとくてんのう)。
幼い段階で帝となり、若くして上皇となりますが、家庭環境が実に複雑でした。
父親の鳥羽上皇(本当は実の父親ではないともいわれている)と後継者指名を巡って対立するなど、親族間で権力闘争が発生します。

権力闘争に敗れた崇徳天皇は皇位の地位を剥奪され、讃岐(今の香川県)へ流刑。京へ戻ることも許されません。都に戻れないのであれば、せめて自分が書いた経だけでも、と自身の血で写経した経を都へ送りますが、その経はビリビリに破られた形で送り返されてしまうのです。

絶望と怒りに満ちた崇徳天皇は舌を噛み切ります。その際に「天下滅亡」という呪いの言葉を書き残し、「我は魔王となりて天皇を呪う」という呪詛を掛け数日後に憤死したのです。

「平清盛」で井浦新さんが演じた崇徳上皇ビフォーアフター(同一人物です)
Ⓒ大河ドラマ「平清盛」

崇徳天皇の死後、弟の後白河天皇の親族や周囲で変死が多発し、翌年の1177年には京の町の3分の1が焼失した「安元の大火」が発生するなどし、天皇の権威が失墜。源氏と平家が争うようになり、侍の時代に突入しました。

1164年の崇徳天皇死後、元寇、南北朝の動乱、応仁の乱と100年ごとに災いが発生したため、崇徳天皇の式年祭が100年ごとに執り行われることになりました。

式年を重ねて行くにつれ驚くべき変化がありました。崇徳天皇が日本の御霊として崇められるようになったのです。
前回の式年祭は高度経済成長に湧き、東京オリンピックで盛り上がった1964年。
次回の式年祭を執り行う時、日本はどんな国になっているのでしょうか。

「どんな呪いでも時が過ぎ、丁寧に対応をすれば守り神になる」という考え方は、日本ならではかも知れません。

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