伊達政宗。
伊達と聞いて真っ先に思い浮かぶのが彼の名前ではないでしょうか。
18歳で家督を継ぎ、瞬く間に奥州を席巻し天下に名を轟かせた伊達政宗。その政宗には腹心と呼べる二人の人物がいました。
一人は智の面で伊達家を支えた片倉小十郎、そしてもう一人が武の面で支えた伊達成実。
その伊達成実を初代当主とする亘理伊達家ゆかりの祭り「伊達武者まつり」が8月6、7日に北海道で開催されます。
勇壮な武者行列とド派手な山車
伊達市で開催されるこの伊達武者まつりは、毎年8月第1週の土曜日と日曜日に2日間にわたって開催され、今年で42回を数えます。
祭りの初日は迫力のある山車が町中を練り歩き、よさこいも披露され、夜の街を彩ります。
山車には武者の絵が描かれており、その迫力を際立たせています。
よさこいチームの演舞も圧巻です。
光と音と踊りの競演は、歴史に詳しくない人でも楽しめるのではないでしょうか。
そして2日目、この祭りの締めくくりともいえる武者行列です。勇壮な武者姿に身を包んだ300人ほどの行列が現代の日本に甦ります。
30分ほど市内を行進した後、武者たちは「だて歴史の杜」の大手門へ。
太鼓が鳴り響く中、大手門から入城する姿は見ているだけで心躍ります。
そのほか、祭り広場では開催期間中屋台も出店し、地元の名物を買うこともできます。
ポニーの乗馬体験もできるので家族でも楽しめそうですね。
伊達氏と伊達市の関係
それでは、なぜ北海道で伊達氏ゆかりの祭りが開催されるようになったのか、その経緯を簡単に紐解いていきましょう。
政宗の片腕として活躍した成実は、その功績が認められ亘理城(宮城県亘理町)主となりました。
その後、成実の子孫は江戸末期まで250年間15代にわたり亘理の地を治めることになりますが、幕末になると新政府軍と幕府軍の争い、戊辰戦争が勃発します。
幕府軍として戦うことになった仙台藩は大敗を喫し、その領地を大きく減らすことになりました。亘理伊達氏も2万4千石から58石に大幅にその所領を減らします。
多くの家臣を抱え、窮地に追い込まれた15代当主・邦成は蝦夷有珠への移住に希望を見出します。
単身移住は認めず家族での移住を勧め、背水の思いで開拓事業に取り組むと、次第に荒野は農地へと変わっていきました。
様々な困難を乗り越え、居住に適した地に変貌を遂げたその地はやがて伊達市とよばれ、現在に続いています。
伊達武者まつりはそんな開拓者の魂を未来に、子孫に残していくため市民有志によって開催されるようになったのでした。
困難を乗り越え、新しい道を開拓する力はぜひ見習いたいものです。
今年の夏休みはフロンティアスピリッツ宿る伊達市でその思いに触れてみるのはいかがでしょうか?
伊達武者まつり
・会場:北海道伊達市
・日時:8月6日(土)、7日(日)
公式サイト:http://www.datemusha.com/
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