日本伝統の男性の下着と言えばふんどし。
いっぽうで、昔の女性の下着事情については、意外と知らない方も多いのではないでしょうか?
女性の下着はどのような歴史を持つのか。現在のパンティのような穿くタイプの下着はいつ定着したのか。そのあらましをご紹介します。
はじまりは入浴補助用の作業着
女性は昔、湯巻、湯文字、腰巻きなどと呼ばれる巻きスカート型の下着を使ってきました。
現在でも着物を着る時には裾除け、蹴出しと呼ばれるものを着用しています。
平安時代の女性は袴を着用していましたが、宮中の風呂・湯殿で奉仕する女官は動きやすさを重視して、袴の代わりに白い巻きスカートをつけました。これが湯巻のはじまりです。
湯巻は徐々に浸透して、室町時代には公家の女性の日常着となります。
元々はあくまで袴の代用品であり、下着という意識はなかったようです。
ですが時代が下って袴を穿かない着流しスタイルが定着すると、湯巻は衣服の下に着けることになります。
こうした衣服の変化から、湯巻は下着と認識され、定着していきます。
西洋文化と共に入った穿くタイプの下着
明治維新を迎えて西洋文化が流入すると、洋服と共に下着も日本に伝わりました。
当時の代表的な女性の下着はズロース。日本女性が初めて出会った、穿くタイプの下着です。
ですが当初は「はしたない」とされ、見向きもされなかったのだとか。
また、温暖湿潤な気候で袴を捨てた歴史がある日本女性にとっては、肌に密着するタイプの下着が不快だったという向きもあるようです。
もんぺから定着した穿くスタイルの衣服
太平洋戦争が始まると、女性はもんぺの着用が推進されます。これによって女性は下穿きの感覚に慣れたようです。
そして戦後の混乱が落ち着き、高度経済成長期を迎えると、「見えない部分もおしゃれをしたい!」という欲求が女性から生まれます。新しく日本にもたらされた下着は目に新しく、テレビなどメディアの発達も助けて、現在のパンティとブラジャーというスタイルが定着します。
以上、日本女性の下着の歴史をざっと眺めてみました。
考えてみると、肌に密着する下穿きタイプの衣服はたしかに暑いもの。
さらに2016年現在は温暖化やヒートアイランド現象で気温が上昇傾向にあります。
日常の洋服ではそうもいきませんが、この夏浴衣を着る時など、日本古来の下着スタイルを取り入れてみてはいかがでしょう。
日本女性が気候とどう付き合ってきたのか、その片鱗を体感できる・・・かもしれません。
(Sati)
参照
風俗博物館
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