【 非業の英雄 】 京都・鞍馬寺で源義経公を讃え偲ぶ「義経祭」が開催

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【 非業の英雄 】 京都・鞍馬寺で源義経公を讃え偲ぶ「義経祭」が開催

京都市左京区にある鞍馬寺。緑深い山々に囲まれたこの古刹で毎年9月15日「義経祭」が開催されています。

源義経(1159 - 1189)の肖像画
源義経(1159 – 1189)の肖像画

なぜ鞍馬寺で義経の法要が行われているのか、その関係を簡単に振り返りましょう。

源平合戦で華々しい活躍を見せた源義経(幼名・遮那王)。
平安時代、平清盛と義経の父・源義朝は武家の棟梁の座をめぐり激しい争いを繰り返していました。
しかし1159年「平治の乱」で義朝は清盛に敗れ東国へ敗走。逃れる途中、部下の裏切りにより殺されてしまいます。
清盛は義朝をはじめ、敵対した者をことごとく処刑してしまいますが、生まれたばかりの義経は将来仏門に入ることを条件に助命されます。このとき、兄・頼朝も幼いということで命は助かり伊豆に流されます。

近年は足利直義像との説もある源頼朝像(神護寺蔵)
近年は足利直義像との説もある源頼朝像(神護寺蔵)

幼少期は平氏の子として育てられた義経は、7歳(11歳とも)に成長すると約束通り仏門に入ることとなり、鞍馬寺に預けられました。勉学に励んでいた義経ですが、やがて自分が源氏の子であると知り、以後、打倒平家を誓い武芸に励みます。

鞍馬寺の大天狗僧正房と剣術修行をする遮那王。
鞍馬寺の大天狗僧正房と剣術修行をする遮那王。

その後は牛若丸として数々の伝説を残し、元服してからは義経と名を改めます。
源氏のため多くの武功を上げますが、次第に兄・頼朝と対立。武蔵坊弁慶をはじめ優秀な仲間たちとともに抗いますが、戦いに敗れ奥州平泉で非業の死をとげます。

義経の御霊は、少年期を過ごした鞍馬山に戻り穏やかに安らいでいるそうです。
今も鞍馬寺の奥の院、義経堂遮那王尊として祀られています。
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英雄・義経公を讃え偲ぶ「義経祭」

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「義経祭」
日時:2016年9月15日(木)11時頃~
場所:総本山鞍馬寺本堂
HP:鞍馬寺公式 http://www.kuramadera.or.jp/

2016年の義経祭は11時ごろから約30分間、鞍馬寺本堂にて僧侶の読経による法要から始まります。
読経が終わると舞(2016年は日本舞踊「賤の苧環」の予定)が奉納され、続いて合気道の奉納が行われます。
静かな境内に張り詰める奉納演舞の緊張感は、日ごろ弛んだ心に響き背筋が伸びる思いでしょう。

なお、鞍馬寺へ向かう参道は「つづら折の道」といわれ、枕草子に「近うて遠きもの くらまの九十九折の道」と記されているほどです。お出かけの際には動きやすい服装を。

ほかにも鞍馬寺周辺には義経が修行の時のどを潤した「息つぎの水」や、山を下りるとき名残を惜しんで背を比べた「背比べの石」など、義経ゆかりの旧跡が点在しています。鞍馬寺へ向かう際には、ぜひ立ち寄ってみてください。

義経公背比べ石
義経公背比べ石

この義経祭、きらびやかな武者行列などはありませんが、悠久の時の流れを感じ、英霊に思いを馳せることができます。落ち着いた空間で心静かに自分自身を見つめ直してみてはいかがでしょうか。

参照元
鞍馬寺公式HP

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