寒くなってきました。サツマイモがおいしい季節の到来ですね。
サツマイモは日本の歴史と深く関わった食べ物です。
江戸時代に徳川吉宗が栽培を促進したことは、歴史の授業でも覚えさせられる有名な話。
それだけでなく、明治維新を支えた食べ物とも言われています。そんなサツマイモの歴史と、明治維新との関わりをご紹介します。
中国、琉球、九州へと伝わったサツマイモ
サツマイモの原産地はペルーと考えられています。
アメリカ大陸に渡ったポルトガル人かスペイン人によって東南アジアにもたらされ、アジアの食卓に定着しました。
日本にサツマイモがもたらされたのは中国経由です。17世紀初頭に琉球、18世紀初頭に薩摩に伝わったといわれています。
現在でも九州では、サツマイモのことは琉球芋や唐芋(からいも)と呼ばれています。
飢饉でも餓死者を出さなかったサツマイモに吉宗は注目
薩摩藩でサツマイモの栽培が始められた数十年後、西日本を享保の大飢饉が襲います。これによって飢餓に苦しんだ人は250万人、使者は1万人とも100万人とも言われています。
そんな中、薩摩藩だけは餓死者が出ませんでした。
飢饉の中でも、サツマイモは無事に育っていたのです。時の将軍・徳川吉宗は薩摩藩の状況からサツマイモに注目。飢饉対策としてサツマイモ栽培を促進しました。
明治維新を推進した薩長土肥はすべてサツマイモ藩
吉宗の時代にサツマイモは全国に広まりますが、元々は熱帯地方の植物。ある程度温暖な気候の下で育ちやすく、特に九州と四国とは相性が良かったようです。
明治維新を推進した薩摩、長州、土佐、肥前も、サツマイモ栽培が盛んな藩でした。
サツマイモ栽培が盛んだった4藩は飢饉の影響を受けにくく、人口増加率は全国平均を大きく上回っていました。
人口が増えれば国力を蓄えやすく、兵の動員数も増やせます。
そうした環境も、明治維新の実現を支えるひとつの鍵だったと言われています。
栄養価の高さも明治維新実現の秘訣?
さらにサツマイモは、食物繊維やビタミンCなどの栄養価も高い植物。
風邪の予防や疲労回復にも効果があるそうです。当時江戸では米の常食化による脚気が流行していましたから、この辺りも勝敗を分けたかもしれませんね。
江戸幕府によって広められたサツマイモが、江戸幕府の終焉を支えた。
そう考えると、歴史の妙を感じずにいられません。
(Sati)
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