【上杉謙信の刀】代表される刀剣3振りの概要と逸話

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【上杉謙信の刀】代表される刀剣3振りの概要と逸話

戦国時代にはさまざまな武将が日本刀に魅了されました。コレクターとして有名な武将も多いですが、上杉謙信もその一人だったことをご存じでしょうか。
謙信は関東管領を継承し、天皇家や将軍家から多くの名刀を贈与されました。逸品に触れることも多かったためか、謙信は刀の鑑定眼に定評があったようです。また、謙信の養子である景勝も刀剣に強い関心を示しており、引き継いだ刀剣を「上杉景勝腰物目録」に記しました。この目録に所載された刀剣の多くは、国宝や重要文化財に指定され現在に伝わっています。
今回は、謙信が愛した刀剣の中でも代表される3振りについて、その概要と逸話をご紹介します。

名刀を愛した上杉謙信

上杉謙信像
JR上越妙高駅にある上杉謙信像です。

謙信は戦国武将の中でも愛刀家として知られています。そのため、上杉家伝来の刀剣には優れた品が多かったようです。

上杉家所蔵の刀剣

上杉家には、「上杉家御手選三十五腰(うえすぎけおてえらびさんじゅうごよう)」と呼ばれるものがあります。これは謙信が所蔵していた多くの刀剣の中から、景勝が特に気に入ったものを選抜した名刀リストです。近代以前には記録が見られないため出処は不明とされていますが、その名前は広く知られています。謙信と同じく観察眼に優れていた景勝が選んだトップクラスの三十五腰のうち、二十八腰は謙信の帯刀です。
もとの台帳が紛失しているため、三十五腰の内容について確実なことはわかっていません。ただし、「上杉家刀剣台帳」で「三十五腰之内」と記載されている26口は含まれています。この26口には、「姫鶴一文字」「小豆長光(あずきながみつ)」「山鳥毛(さんちょうもう)」「高木長光」「瓜実安則(うりざねやすのり)」「九郎二郎広光」「五虎退吉光(ごこたいよしみつ)」などがあります。

一文字派の名刀を好んだ

刀鍛冶

刀剣にはそれぞれ産地にちなんだ刀派があります。「上杉家御手選三十五腰」には一文字派の刀が多く見られることから、謙信が愛した刀派とされています。
一文字派は鎌倉初期から南北朝期にかけて備前(現在の岡山県南東部)で栄えた一大流派で、産地や作風によって「福岡一文字」「吉岡一文字」「片山一文字」と呼んで区別しています。
一文字の「一」は、天下一の「一」を表しているといわれ、後鳥羽上皇が優秀な鍛冶を集めた「御番鍛冶十二工」の中でも、粟田口派や青江派といった他刀派をしのぐ7名が選抜されるなど勢いがありました。豪壮華麗な匂出来丁子乱れの刃紋が特徴で、国宝指定のものも多くあります。

謙信が愛した太刀:姫鶴一文字

鶴
姫鶴一文字は刃紋が鶴の羽に似ているそうです。

謙信の愛した刀として一番有名なのが「姫鶴一文字」でしょう。この刀は、国の重要文化財にも指定されている名刀です。

姫鶴一文字の概要

「姫鶴一文字」は備前国の福岡一文字派によるもので、鎌倉時代後期に作られた刀とされています。鍔(つば)のない「合口拵(あいくちごしらえ」」という作りになっており、謙信はこの形を好んでいたそうです。刃長約71.5cm、反り2cmほどの太刀です。

姫鶴一文字に関する逸話

姫鶴の名の由来は、刃紋の状態が鶴の羽に似ているからだといわれています。
あるとき謙信は、この太刀は少し長すぎるからと刀鍛冶に磨上げ(刀身を短くすること)を依頼しました。するとその刀鍛冶の夢に鶴姫という美女が現れて、磨上げをやめるようにと懇願したのです。そのため磨上げは中止になったという逸話が残されています。
また、明治天皇が米沢で姫鶴一文字をご覧になった際、大変気に入られて押形(刀剣の形を紙に写すこと)をご所望になったというエピソードもあります。名刀と呼ばれるに相応しい逸話をもつ刀ですね。

見目麗しい太刀:山鳥毛

刀の切っ先

上杉家の家宝とされている名刀が「山鳥毛」です。さんちょうもう、やまとりげ、さんしょうもう、とさまざまな名称がある刀で、名称通りの美しさが特徴です。

山鳥毛の概要

もともと関東管領上杉家の家宝だった刀で、弘治2年(1556)謙信が上州白井に出陣した際に長尾憲景から贈られました。長尾家の伝来では備前長船兼光の作となっていますが、現在は備前国の福岡一文字派の作と考えられています。現在は個人所蔵ですが、国宝にも指定されています。岡山県立博物館に寄託されていることもあり、時期によっては一般に公開されることもあるようです。
刃長79.5cm、反り3.4cm。大房の丁字乱れが鎬にかかっており、物打ちの一部は皆焼(ひたつら)になっています。

山鳥毛に関する逸話

号の由来については諸説あり、刃紋が山鳥の尾羽に似ていることから「山鳥毛」と名付けられたという説や、刃紋が遠くの野山が焼けているように見えることから名付けられたという説があります。そのため、「山鳥毛」のほかに「山焼毛」とも形容されていたようです。
この刀については、謙信にゆかりのある新潟県上越市が所有者と買い取りの交渉を続けていましたが、平成29年(2017)11月に購入を断念。その後、岡山県瀬戸内市が購入を検討し、クラウドファンディングやふるさと納税などで資金調達を行っています。

粟田口の短刀:五虎退

白虎

謙信の愛刀の中には短刀もたくさんあります。短刀の中で特に有名なのが「五虎退」でしょう。

五虎退の概要

「五虎退」は、鎌倉時代の有名な刀工である粟田口藤四郎吉光によって作られた短刀です。長さ25.2cm。こちらは一文字派の刀ではありませんが、天皇から拝領したという名刀です。
永禄2年(1559)当時まだ長尾景虎を名乗っていた謙信は、13代将軍の足利義輝に請われて上洛しました。その際、正親町天皇から拝領したのが「五虎退」だったのです。それ以降、この刀は上杉家に伝来しています。現在でも米沢市上杉博物館で展示されることがあるようです。

五虎退に関する逸話

この刀の名称はとても個性的ですが、それにはこんな由来があります。
3代将軍・足利義満の使者が遣明使として明に向かった際、5頭の虎に襲われました。そのとき、この短刀で虎たちを追い払ったというのです。約25センチの短刀でありながら複数の虎を退散させたのですから、気迫に溢れた刀だといえるでしょう。

多くの刀を所蔵する刀剣マニア

上杉謙信の像

日本史上きっての刀剣マニアとして知られる上杉謙信。そのお眼鏡にかなった素晴らしい刀剣の数々は、現在でも展示会で見ることができます。刀剣はさまざまな武将のもとを転々とすることも多く、その裏には武将たちのつながりや時代背景が伺えます。刀剣の美しさを感じるとともに、そんな歴史ロマンに浸ってみるのも面白いかもしれません。話題の刀剣が展示されるときには、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

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