第23回「新選組隊士に求められた唯一の条件とは?」【歴史作家・山村竜也の「 風雲!幕末維新伝 」】

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幕末維新の志士や事件の知られざる真実に迫る連載「風雲!幕末維新伝」。第23回のテーマは「新選組隊士に求められた唯一の条件」です。

新選組の入隊試験

幕末の京都の治安を守った剣客集団の新選組。隊内には、近藤勇をはじめとして、土方歳三、沖田総司、永倉新八、斎藤一など、錚々たる顔ぶれの剣豪たちが揃っていました。

彼らのような幹部隊士が、あとから入隊してきた者たちを道場で厳しく鍛えていたことは、記録にも残っています。

その稽古はもの凄いぐらい烈しいもので、打ち倒れてそのまま動けなくなっている人などをよく見ました。(略)いつ行って見ても胴をつけて、汗を流していたのは土方歳三で、隊士がやっているのを、「軽い、軽い」などと叱っていました。(『新選組始末記』)

これは新選組が屯所にしていた壬生村の八木為三郎による目撃談です。稽古が噂にたがわず激しいものだったことが伝わってきます。

しかしなぜか新選組には、剣術が強くないと入隊できないという話はありません。よく映画やドラマなどでは、入隊にあたって剣術の試験がおこなわれ、弱い者は不合格になるという場面がありますが、実際の記録を見るかぎりそういうものはなかったのです。

実は新選組では、入隊時に剣術が強いかどうかはまったく問題にされていませんでした。だから、入隊にあたっての剣術試験もありません。

そのかわり、入隊希望者はすぐには正式入隊させず、最初は仮同志として隊内に置いておく。この見習い期間中に、夜中寝ているところに突然斬りかかったりして、その者の度胸をためしたのです。それで新選組にふさわしい度胸ある人物と認められれば、はじめて正式に隊士となることができたのでした。

また入隊後は、隊規違反により切腹することになった同志の介錯を、新人に積極的につとめさせました。生きている人間を斬る機会は、新選組隊士でもそうあるものではなかったので、これによって人を斬る度胸をつけさせようとしたのです。

過酷な死番制度

新選組隊士に必要な度胸をやしなうためには、こんな巧妙な工夫もなされていました。桑名藩士の加太邦憲が京都で見聞した新選組の姿が、『維新史料編纂会講演速記録』に記録されています。

捕手などに行きますに、広い場所の戦争と違いまして、狭い町家の入口を入るのと階子段を上がるのが誠に気味悪いものだそうで、勇者でも一寸其処で思わず躊躇するのが人情であります。それでせっかく捕手に向かってそんな手ぬるいことをして居ってはいけぬというので、死番という番をこしらえてーー

家屋の狭い入口を入るときや、階段を上るときには、日ごろ勇敢な隊士たちもどうしてもためらってしまうことがある。その一瞬の躊躇をなくすために考えられたのが、「死番(しにばん)」という制度でした。隊士4人で一組となって、そのなかの一人が毎日交代で死番をつとめて危険な場所に突入するというものです。

四人が平生順番を定めて、そのうち今日は誰が死番、二番目は誰、三番目は誰ということを定めて、今日の二番が明日の一番になるという風にして、その死番に当たるとその日はもう、朝から覚悟して居りますから、入口まで来て躊躇せぬ (同書)

死番に当たっている者は、その日一日、危険な場所への突入はすべて先頭に立って行かなければなりませんでした。翌日は前日二番だった者が繰り上がって死番となり、これをローテーションでまわしていったのです。

過酷な制度のように思えますが、当番になった者は、朝起きたときからすでに覚悟が決まっているので、現場にのぞんでもためらうことがない。その者は自動的に勇敢な戦士となって、敵中に突入していくことができるのでした。隊内の誰が考案したかはわかりませんが、実にみごとなシステムというべきでしょう。

臆病者の末路

日本刀の刃

新選組の求める勇気ある隊士になりきれず、脱落する者も相次ぎました。慶応2年(1866)某日、古参隊士の川島勝司が性格が臆病という理由で除隊させられています。

川島は京都出身でしたから、隊をクビになっては行き場所もない。生活にも困窮し、ついに隊の名を騙って市中の商家から金策に及びます。もちろん悪事はすぐに発覚し、新選組の追っ手に捕らえられた川島は、二条河原に引き出され、隊士富山弥兵衛の手で断首されたのでした。

また同年9月の三条制札事件の際、敵を恐れて味方への注進が遅れた浅野薫が、臆病者として除隊処分になっています。
浅野も古参の者でしたが、性格が臆病というのは新選組隊士としては致命的と見なされたのでしょう。最後は敵方に寝返ろうとしたことが発覚し、沖田総司によって川勝寺村を流れる桂川のなかに斬り捨てられるという末路をとげています。

同年10月には、これも古参の酒井兵庫が、隊の厳しさに耐えきれずに脱走をはかりました。故郷の摂津住吉に逃げ帰った酒井は、知人のもとに身を寄せていましたが、居場所はすぐに新選組に発覚します。

沖田総司ら5、6人が追っ手として追捕に向かい、その場で沖田に斬り伏せられました。本来ならば脱走者は隊に連れ帰って切腹させることになっていましたが、切腹の名誉を与える価値もないと沖田が判断したのでしょう。

新選組隊士は臆病であってはならない。それが隊士に求められた唯一の条件でした。たとえ剣の腕がそれほどでなくても、勇気と度胸さえあれば隊士としての資格がある。近藤勇と土方歳三は、そんな信念のもとに新選組を運営し、最強の戦闘集団を創り上げたのです。

 


「世界一よくわかる新選組」(著:山村竜也/祥伝社)

あなたの知らない新選組の姿がここにある!滅びゆく江戸幕府に殉じた新選組。彼らは単なる人斬り集団ではなかった……。
NHK大河ドラマ『新選組!』『龍馬伝』『八重の桜』、アニメ『活撃刀剣乱舞』など、大ヒット作品の時代考証家が新資料で明かす真実とは?

 

 



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