【 6/10は時の記念日 】 家康が残した奇跡の時計!意外と古い日本の時計の歴史

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【 6/10は時の記念日 】 家康が残した奇跡の時計!意外と古い日本の時計の歴史

6月10日は「時の記念日」です。今でこそデジタル時計など様々な種類の時計が世の中に存在しています。
では、日本で最初に時計が作られたのはいつなのでしょう。
今回は、そんな6月10日の「時の記念日」にちなんで時計にまつわるエピソードをご紹介します。

日本で最初の時計は「水時計」

日本で最初に用いられた時計は、飛鳥時代の中頃である斉明天皇6年(660年)と天智天皇10年(671年)に天智天皇が作った「漏刻」とされています。
「漏刻」はいわば水時計で、複数の水槽をつなげて一定速度で水がたまることによって時刻を知らせることができるというもの。遣唐使によってこの時計を製造する技術がもたらされると、天智天皇が時計を開発します。そして国民に時を知らせた日である6月10日を「時の記念日」としたのです。

しかし、この水時計はすごく大きく、奈良時代にはこの時計を管理するために多くの見張り番が必要とされていました。現在天智天皇が作ったとされる「漏刻」を再現した物が近江神宮にあります。

近江神宮の時計館宝物館にある漏刻(ろうこく)
近江神宮の時計館宝物館にある漏刻(ろうこく)

時計が今の形になったのは?

日本では天智天皇が作った水時計が主流となりますが、その後、鉄砲の伝来で有名になったフランシスコ・ザビエルが日本に西洋の時計をもたらします。しかし日本と西洋とでは時間の測り方が違っていた為、当時はまだ西洋時計が使われることはありませんでした。

時は流れて、鎖国が始まる17世紀には西洋時計を改造した日本独自の「和時計」が開発されます。この和時計は、掛時計、印籠時計などが様々な種類で生産されます。
明治以降は鎖国も解かれたため、グレゴリオ暦が採用されるようになりました。時間の測り方も西洋と同じ24時間均等割りに。次第に和時計は廃れ、西洋時計が明治の世に出回ります。

そんな中、国内で始めて西洋式の時計を作ったのは服部金次郎が作った精工舎産の懐中時計です。
その後も精工舎は数々の時計を製造し、1913年には国内初の腕時計が開発されました。この腕時計が現在の腕時計の原点となっております。現在でも「セイコー」と言えば時計、というほど有名ですよね。

時計好きだった家康が残した「奇跡の時計」

初代江戸幕府将軍である徳川家康は西洋の物が大好きで、コンパスや革靴、西洋マントなど西洋からもたらされた様々な物を大事にコレクションしていました。
彼はその中でも時計が大好きだったようです。伏見城には時計台を作ってしまうほど、時計をこよなく愛しておりました。
特に、スペイン国王のフェリペ3世から贈られた「ぜんまい仕掛けの西洋時計」は一度も使うことなく、久能山東照宮に大切に保管されております。
16世紀に作られた時計がオリジナルのまま現存するということは、世界的にもとても珍しいことです。

久能山東照宮博物館に保管されている洋時計
久能山東照宮博物館に保管されている洋時計

今回は時の記念日にちなんで、時計の歴史をご紹介しました。時計の歴史はかなり深く、日本史とも密接に関係している事が分かります。
「時の記念日」には、感謝の気持ちを込めて日ごろ愛用している時計を磨いてあげてはいかがでしょうか。

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